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メールで遊ぼう


 孫とメールのやりとりを始めて、私はメールって面白くて、楽しいと思った。孫は今年大学の理工学部に入った一年生である。私は七十五歳の老人である。去年の六月、四十九年間共に生きてきた妻を喪った寂しさが、私に孫とのメールを示唆したのかもしれない。
 これまで度々、孫には手紙を書くか、電話をかけたりしてきたが、この二つにはメールが持っている不思議な力はない。手紙だと教訓くさくなる。だから孫の返事は、規格品並みの「はい」とか「わかりました」となる。電話も似たりよったりで、対等の会話にはならない。
 そこへいくと、メールは一味違う。何しろ老人だから機械に弱く、ちょうど覚えはじめだから私の打つメールはひら仮名ばかりで、漢字の変換ができない。孫は初めて対等な立場で、「ひら仮名ばかりですと、文章に格調がなくなりますから、おじいちゃん、早く漢字の変換を覚えてください」と言ってきた。さらに「脱字があります」と注意する。
 ああ、メールには上下がなく、みんな対等なんだと感心した。漢字の変換を苦労して覚えると「よく覚えましたね、頑張ってください」とメールを打ってくる。孫との対等なやりとりがたまらなくうれしいのである。
 ある日、ロートレックの言葉を送った。「人は自分の運命に耐えなければならない」。すると孫から、「大変深い言葉ですね。この人はどういう人ですか」と言ってきた。「生まれながらの足の短い大人の背丈の半分しかない世界的に有名な画家です」とメールを打つと、「大学の図書館で、その人の画集を探してみます」と打ち返してきた。
 その返事や感想はまだ来ないが楽しみにしている。メールだから、こういう短くて深い会話のやりとりができるのであった。
 妻を喪った寂しさを、孫とのメールでいくらかまぎらわしているが、妻が生きていたら、孫との間でどんなメールの内容を交換しただろうか。
〔立待岬・北海道新聞道南版、平成16年6月〕


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