娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


さっぽろ市民文芸の集い

 11月22日、さっぽろ市民文芸の集いにはじめて参加した。昨年6月、大通りの地下コンコースを歩いている時にさっぽろ市民文芸第24号作品募集、というチラシを見つけた。何気なく手にとると、随筆・原稿用紙5枚以内という文字が目に入り、そのチラシをバッグの中にしまった。父が亡くなってからずっと両親の事を書きたいと思っていたから、作品募集というタイトルに心が動いたのだろう。私は23年間もこの文芸誌が続いていることを全く知らなかった。応募するにはまず過去の作品を読んで見たいと思い、図書館に電話をしてバックナンバーがあるかどうか聞いてみると、最近のものが西岡図書館にあった。二冊だけ借りて読んでみた。しかし、チラシを見つけたのがずいぶん遅かったため、締め切りまで五日しかない。父か母の事を書きたいという思いだけで、原稿用紙5枚に何を書くかは考えがまとまっていなかった。時間もない。でもここでやめたら、書きたいというこの気持ちがまたいつ起こるかわからないと思った。いろいろ悩んだ末に、癌だった父をホスピスに移すまでの葛藤を書く事にした。一人娘であるがゆえにたったひとりですべてを決断する苦しさと、死を目の前にした父の姿を一生忘れないためにこのテーマに決めた。仕事や家事を済ませ、夜中一人机に向かってペンを走らせたが頭の中に書きたい内容は浮かんでも、文章にならない。うまい言葉がみつからない。ただ時間だけが過ぎていくのだった。ああー、夫と息子の弁当を作らなければならない…、外がしらじらと明るくなってきた。何年ぶりかの徹夜だった。しかし、仕事の成果はまったく上がらず、二日が過ぎた。清書して出来上がったときには、郵送では間に合わず、札幌市教育文化会館まで直接届けることにした。
 二ヶ月以上経った8月末、佳作に撰ばれたと封書が届いた。第24号の文芸誌に活字になって掲載される。それだけで満足だった。本が発売された日、書店で一冊買い求め、活字になった自分の文章を眺めると少しだけ、嬉しかった。昔ならすぐにでも函館の母に電話をかけただろう。しかし父も母も亡くなった今は、それも出来ない。
 昨年の10月27日は父の三回忌だったので、わたしはこの本を持って函館に行った。父が長年携わってきたタウン誌『街』のスタッフ、IさんとKさんにこれを見せ、その日、父が文章教室で教えていた生徒さんたちも加わり墓参りにいった。Kさんが今年の紅葉はきれいだね、先生(父のこと)が亡くなった時と同じくらいきれい~と話していたが、私はその時喪主として最後まで務めることで忙しく、まったく記憶になかった。
 私はそっと、バッグの中からさっぽろ市民文芸を取り出し、お墓の前に置いた。するとKさんが、声を出して読むように言ってきた。はずかしかったが言う通りに声を出して読んでいると反対側で墓参りをしていた御夫婦も黙って聞いていてくれた。

 それから一年、私は二回目の挑戦で第25号のさっぽろ市民文芸に随筆を送った。昨年、佳作だったからといって、今年も賞をいただけるとは限らない。だが私の心の中では一年たって文章が上達していないのは、悲しい話だ。けれど誰の指導も受けているわけでもないし、夫曰く、お前は本読まないな~と言う。このせりふは生前、よく父や母に言われたことなのだ。努力も勉強もしないで、いい結果だけを望むのは虫がいい話だ。
 ところが今年は奨励賞をいただいた。思わず、夫の携帯にメールをいれ、函館のKさんにもメールをした。今年のタイトルはやはり父の事で、『父からの贈りもの』である。随筆のテーマとして撰ばれるベスト20の中には父や母のテーマが入っている、と聞いたことがある。確かに両親が亡くなってから、二人の事を思い出し切なくなったり、心温まったりするのは文章を書いている時なのだ。もしかして、私は父と同じ道に進みたいと願っていたのかもしれない。
 表彰式と市民文芸の各部門の選者の先生からの批評や先生たちを囲んでの語り合いの場があると知り、今年はさっぽろ市民文芸の集いに参加してみた。そこで父の事を昔から知っている方にもお会いできた。
 父は十代のころから小説を書き始め、たぶん一日も書かない日はなかったと思う。私が知っている父は毎晩遅くまで机に向かっていた。昔、父が私に言ったことがあった。どんなに忙しくても、疲れていても、机に向かい毎日少しでも文章を書いてから床につくのだ、と話してくれた。私も父の言葉通り毎日必ず、一行でも書こうと思ったがなかなか出来ないものだった。継続することの大変さを思い知らされ、父の意思の強さをあらためて知った。今、自分が書くことは、父や父をずっと支えてきた母の気持ちを少しずつ理解できる気がして、一人娘の使命だと少し大げさだが感じている。家業を継ぐような気分なのだ。
 さて、今年もあとわずかだが私もいよいよ五十代の仲間入り。そこで目標は娘の目から見た作家である父と母の事を書く予定だ。今年の夏にすでに原稿用紙50枚を書き、ある文学賞の応募に挑戦してみたが駄目だった。そう簡単に賞を取れるとは思ってないが、期日が決められたものがあると、自分自身も頑張ることができる。
来年は母の七回忌、墓の前で声を出して読めるだろうか。


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