随筆あれこれ

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新春夢想―桃源郷を求めて

 私は酒が飲めない。それで妻がよく笑うのだ、あなたは何にでも興味を持つと、すぐそれを調べたり、確かめたりなさるのに、酒の前は素通りね、それは、絵画でいえば黒の使い方が判らないことに等しいと思うけど……。
 大変きびしい批評である。黒を使えない画家は大成しないと私は、日頃から周囲にいっていた。妻の指摘は、その黒が使えないのだから、あなたの書くものにはどこか不足なところがあるといっているのだ。
 深夜まで原稿用紙とにらめっこし、疲れてくるとコップのなかの牛乳を飲むのだが、ときどき、これがビールかワインだったら、と思うことがある。少し思考の位置をずらしたいと思っても、牛乳ではあまり効果がない。それに疲れもとれない。
 それで丑年はワインかビールの味を楽しめるようにしたいと思った。もっとも、こう考えたのには理由がある。
 十二月十三日、柳沢君が始めた地ビールのお披露目に招待され、ビール好きな妻と一緒にいった。たまたま妻の隣に、地ビールを手がけたイギリス人グループが坐り、一人が実に巧みな日本語で、「ビールは科学と芸術から生まれたものだ」といった。日頃あまり異国の人に異和感しかもっていない妻も、この日ばかりはその一人と話が弾んで、飲むビールの量も多くなり、何も飲めない私に紹介して、こういう美味しいビールとお料理を組み合わせた最高のご馳走を知らない夫で可哀相ですといった。すると彼は豊かな丸い顔に柔らかい笑みをたたえ、ぼくは酒を飲めない人のビール作りもうまいのです。ビールは、老若男女すべての人に飲ませたいし、楽しんで貰いたいです。飲めないというあなたでも飲むことができて、好きになるビール作りをします、今夜の三種類のビールの味は、柳沢社長の心を伝えようと思って作ったものですといった。
 なるほど、ビール作りは科学する心、芸術する心によるものらしい。柳沢君は私よりは少しましかもしれないが、酒が飲める人ではなかった。その彼が地ビール産業に手を染めたのは、函館山の地下水がとてもすぐれた水だと知ったときからだ。そのうまい良質の水を使ってビールを作ったら、誰からも愛されるビールができ、それがまた、地場産業の牛肉やソオセエジを引きたてるだろうと考えたからであった。そして大手がはいって妙にかきまわされるより、大変な冒険だが函館を愛する自分の手で、この未知なるものに挑戦しようというのが彼の率直な思いであった。その真摯な心意気にビールの達人が心を動かされ、三種類のビールの味に柳沢社長の思いをこめて作ってみたいと思ったのだろう。
 私が酒が飲めないといっても、だれも本当にしない。医者からアルコオルを禁じられているせいだろうぐらいにしか見ていない。酒を飲む機会はいくらでもあったが、日本酒の匂いをかんだだけで酔って具合が悪くなる体質なのだが、顔だけ見ると、ウイスキイなら一本はあけるようなつらがまえだと見えるらしい。
 柳沢君から招待されたとき妻を連れていったのは、地ビールは飲んでみたいと前からいっていたことも理由の一つだが、本当のところはその三種類のうちで、どれなら私にも飲めるかそっと教えて貰うためだった。妻は、次々運ばれてきたビールをいかにもうまそうに飲んで、膵臓炎でアルコオルはダメだといわれているが、こんなうまいものを飲まずに長生きしても意味ないといい、あなたになら、最初に飲んだ色の薄いビールがいいと耳打ちしてくれた。
 私は一口のんでみた。爽やか甘さが、すみやかに口のなかにひろがった。苦くなく、滑らかで、コクがある。これなら飲める。つまみに出た干し肉をかじった。小さなジョッキで半分ほど飲んだ。初めてのことであった。周囲の人はみな空になったジョッキを並べ、楽しそうに陽気に談笑していた。白いヒイルに黄色いドレスの若い女性が、両手にジョッキを持ち次々その日の招待客の間を縫ってビールを渡していた。これにだれかがギターを弾き、唄でも歌ったら、もっとビールのうまさがましただろう。
(タウン誌「街」 1997年新年号)


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