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死にむかって


 「人は死に向かって歳をとる」と大江健三郎は言う。最近の彼の「雨の木」の一連の短編小説のもうひとつのテーマが、じつはこの「死に向かって歳をとる」人生である。かつての彼も若い時、互いに一つの理想を持って結婚した。しかし、何十年も生きてくると青春の理想はどこかへいき、夫と妻との間に溝や差が出てくる。けれど夫婦として生きていけるのは、「人は死に向かって歳をとる」からだと言う。
   なるほどと思った。そしてまた私はこれほど説得力のある言葉を知らぬ。青春には理想が必要だが、これは永遠ではない。男女が共に生活するきっかけにすぎぬ。人生は、じつはそのきっかけの終わったところからはじまるのだ。こうして青春の理想とは別なもの、男と女との間にあつれきや葛藤が生じる。私は当然なことだと思っている。
 男が男であり続けるためには、絶えず男は原理を求め、原理として生きようとする。しかし女は女であり続けるためには、原理よりも存在を尊重し、存在として生きようとするだろう。原理と存在とでは目指すものが違う。それでもなおかつ男と女が、あるいは夫婦が共に生きられるのは、「人は死に向かって歳をとる」からである。
 ところが最近、次元の低いところで愛や夫婦愛が語られ、それがテレビやマスコミに登場する。「…大好き」なんて言う表題の本にいたっては嘔吐を催すだけだ。こういう本がはんらんし、喜ばれているところをみると、現代人の思考力や想像力はかなり低く、まさに現代がサブカルチャーの時代と言われる所以だろう。
 (朝の食卓・北海道新聞/掲載年不明)


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