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家庭

 黄昏時の空いていたレストランで、人形の赤ん坊に乳を含ませていた若い女がいた。暫くするとそこへ夫が来て、三人で食事をはじめた。
 高校生たちはびっくりして見ていた。斎木も口をポカンと開けて、その異様な光景に唯々感心していた。
 そのうち事情が判ってきた。若い女は妊娠したが、死産であった。その直後高熱が出て十日も生死の境をさまよっていた。ようやく熱が下ったが、産んだ筈の赤ん坊が傍にいないので気が狂ったように騒いだ。又気が狂っていた。致し方なく夫は人形を買ってきて与えた。女はその人形を自分が産んだ赤ん坊だと思って育てた。名前はルミちゃんで、小柳ルミ子からとったらしかった。
 傍で見ていた斎木や高校生には人形だが、若い女にも、正常な若い夫にも、人形ではなく自分たちの血を分けた赤ん坊で、女房が大事そうに手渡すと、若い夫は目を細め、頬笑みながら、「ルミちゃん、ルミちゃん」とあやした。
 この奇妙な夫婦のことを教えてくれたのはボオイで、
「いつも土曜日の夕方になると、先に若い女が人形を抱いて、あの窓の近くのテーブルに坐って授乳するんです」と言った。「そこへ若い旦那が妻を捜しにきます。二人をみつけると安心して食事をするんですが、とても仲がよくて胸があつくなります」
 斎木はボオイの言うとおりだと思い、ああ、なんと美しい団欒だろうと、感動した。涙さえ出てきて、帰途につくと、妻や二人の子供に今見た光景を喋ろうと思った。
 家へ着くと錠がおりていた。土曜日はみんな自由であった。合鍵で中へはいり、明りを点けた。慌てて妻はカルチャーセンターへ出掛けたらしく、居間は乱雑で足の踏み場もない。食卓には洗ってない昼の食器が転がっている。まるで豚小屋だと斎木は窓を開けて、風をいれた。
 着替えてソファに坐り、煙草を五、六本喫って、いらいらしているところへ、どやどやと妻と二人の子供達がはいってきた。
 長男は高校生で自室に消えた。この頃口もきかない。長女は大学生で、恋人が出来てから父親と歩かなくなった。口をきくときは金が欲しい時で、娘も自室に消えた。おめかしの妻は、途中で子供達に会ったので、鮨を食べてきたと言った。土曜日は家族達は勝手に外で夕食をとることにしていた。
 寝室で普段着に着替えてきた妻は、乱雑な居間に気づいて、「早く帰ったのなら、お掃除くらいしても罰があたらないでしょう」と言い、さらに続けて、「それくらいの機転がないと、歳をとってから嫌われますわ」
 斎木はレストランでの話をする気はもうなかった。それどころか自分たちと、あの若い夫婦はまるで違うと、しみじみ思った。
(タウン誌「街」 1986年2月 No.282)


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