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樹を殺すなかれ

 この河がきれいなのは、傍の大樹のせいかもしれぬ。河のすぐ傍に樹齢数千年という『生命の樹』村人はそう呼んでいるのだが、その『生命の樹』が繁っている。その枝ぶりや姿は素晴らしく、たとえようがなかったが、最近その樹をめぐって論争が起こった。
 先ず医師会を代表してS博士が言った。
 「この樹には難病のための得難い薬になる要素がある。そこで、伐採して医薬品にしたい」
 すると血相を変えて自衛隊の幕僚長が言った。 
 「国が攻められたら、寿命が延びても意味がない。この樹は演習の際の攻撃目標に使いたい」
 今度は建設業者が言った。
 「ばか言っちゃ困る。これは世界でも珍しい樹だよ。この繁り方、この美しさ……。宣伝したら、各国からどれほど観光客が来るか判らない。そうなったら金が落ちて、村が豊かになる」
 植物学者が不機嫌な顔でつめよった。
 「ああ、世も末だ、情けない。S博士にせよ、幕僚長にせよ、はたまた建設業者から観光業者にせよ、エゴイストの集団で、自分達の利益にこの樹を活用しようとしているだけだ。
これは世界で類のない樹です。そこでこの樹の周辺三百米四方に鉄線を張って、だれも近づけないようにしたい。この樹はわれわれ植物研究者の、研究にまかせて貰いたい」
 小学校の先生が言った。
 「あなたもみんなと変らない。自分の研究の独占物にしたいだけだよ。三百米四方に鉄線を張ったら、遠足のさいの、この樹の下での楽しい食事の時間を子供から奪ってしまうことになる。さらに子供たちの、たった一つ残る自然との触れ合いのチャンスもあなたは取りあげることになる……」
 組合の委員長が言った。
 「なかなか結論が出ない。これは高度の政治的判断を要する。政治家に訊ねよう」
 すると政治家はつかつかと前に出て、顔色を窺いながら、
 「そうですね、少し考えさせて下さい」と言った。
 「考えさせろだって……」と通りがかりの老人が言った。「政治家というものはいつでもそうだ。前向きに検討する。善処する。どっちについたら得するかということしか頭にないから、英断なんか下せない」
 もう一組通りがかりの母と子がいた。母は若く、少年は利発そうで、その彼が言った。
 「樹にきいたら……」
 若い母も息子の言葉に頷いた。
 「そうだ、樹にきこう」と言うわけで、みんな揃って、樹に訊ねた。「お前はどうして欲しい」
 樹は涙を流しながら言った。
 「もっと、地球全体のことを考えて欲しい……」
(タウン誌「街」 1986年2月 No.282)


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