犬が欲しい

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犬が欲しい (2) 

 心待ちにしていた息子の電話をすぐに切った夫の姿が思いだされると朝子はおかしくなった。
 外はすでに春の装いだった。冬を過ごすための分厚いオーバーコートは脱ぎ捨てられ、まで枯枝でしかない木々も、春の日ざしを喜ぶように芽を出していた。
 朝子が運転している車は買ったばかりの新車で、免許を取ってから六年たっていた。スケッチには車が必要だった。気分がむけば車に画材を積んで遠出もした。画になるところは、自分の目で探すのが一番である。
 子育てとか家庭の切り盛りとかいった生活の彼方に、こうした画を描くという抽象的な世界が待っていたことを朝子はふしぎに思った。そしてこれは夫の生き方と逆だった。夫はこれまで、仕事という抽象的な世界に住んでいたが、定年が間近になると、直接皮膚に触れるような具体的なものを求め、それが犬が欲しいというあらわれだろう。
 それなら、今朝の夫の叫びは軽く考えてはなるまい。子煩悩だった夫は、まだ幼い、よちよち歩きの息子を、もっと早く、しっかり歩けるように、歩き方を教えたりしていた。転んで泣くと、抱いていつまでもなだめていた。いま夫の心と皮膚はそのころの充実した感触をほっしているのだ。
 朝子は、夫が、自分でもその正体がよく分からない、思いがけない孤独か淋しさのなかにいるのだろうと思った。
 手に柔らかかった息子の命は、いまではすっかり成長して、親の力を必要としていない。電話のやりとりも、ぶっきらぼうでぞんざいな返事しかない。そして夫の肉体に働きづくめからくる疲れがたまり、かつてのようなからだの自由がむずかしくなってもいる。
 犬を飼いたい、とは老後の自分はどう生きたらよいか、自分だけにではなく、わたしにもむけて発信したメッセージだろうか。それなら犬を飼おうか、と朝子は思ったが、戸惑うものがあった。
 犬を飼うことで、会話が少なくなった夫婦の間に、共通の話題ができるだろう。しかし朝子がためらうのは、最初のあいだ夫は犬の面倒をみるが、そのうち飽きて、散歩にしても、すべてはこちらに廻ってくるのではないかということだった。
 絵画教室のある公民館の駐車場にはすでに何台も車がとめてあった。朝子は隅の車一台置けるスペースをみつけるとバックして車をいれた。
 教室では、生徒が、画架にキャンバスをのせて今月の課題である静物を描きはじめていた。中央に大きな円形のテーブルがおかれ、その上に、ケースをあけたヴァイオリンと花瓶に活けた花がある。各人の位置から、花が手前になったり、ヴァイオリンが手前になったり見える。朝子は生徒それぞれの視点で描かれていく画を見て廻るのが楽しみでもあった。
十五人の生徒は女性がほとんどで、男性は僅かだった。女性の平均年齢は朝子くらいだが、男性はいずれも六十過ぎの退職者であった。
 朝子も空いているところに画架を置いた。キャンバスに向かっていると絵画教室の教師だということを忘れて画に没頭した。わずかに形を変えたり色を変えたりするだけで、キャンバスのなかのヴァイオリンもケースも花も変化をみせ、これらの物が独自な主張をし始める。画を描いていて一番おもしろいときであり、しかしまた一番むずかしくなるときでもあった。
 神や人間が造った物を、白いキャンバスの上で、さらに描き手なりに形を変え色をつけるということは、どういうことなのだろう。パスカルが『パンセ』のなかで、じつに不機嫌に、気難しげに、生きて動いている猫を画家がキャンバスのなかに描くことの不遜と無駄を批判している。このごろ朝子は画を描くたびに、そのパスカルの言葉を逆手にとって、無駄は意味ないが、できるだけ不遜になろうと思うのだった。不遜とは神の造ったものにケチをつけることだ。不遜になればなるほど、画は現実のヴァイオリンや花を越えておもしろくなるからだ。
 そんな画を描く生徒が一人いた。彼女は不遜な画を描こうとして描いているのではなく、なにを描いても彼女の筆先は、ほかの生徒のように対象を忠実に写すのではなく、創造主を否定するように、すべて彼女独自の世界を展開していた。
 今回も生徒たちの画をみて廻ったとき、その彼女の画のまえで立ちどまった。いったいこの貝塚貞子のこころはどうなっているのだろう。


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