犬が欲しい |
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二階の息子の部屋を夫が改装してくれたアトリエで、描きかけの三十号の画に朝子は手を入れていた。青とグレイと黒と赤がぶつかりあう色の響きが描きたくてスケッチしてきた春の夕ぐれの林の画であった。このごろ朝子はある場所に惹かれるより、先に色の響きのイメージがあり、そのイメージをたしかめるために 、それに相応しい対象物を探すようになった。 グレイと青とがうまく響きあうと、林が思ったように現われ、色で詩を書いていると朝子は思った。ときどき手こずるが、うまくいくと快い喜びが湧いてきた。夫は帰りがいつもより遅れるといったので、食事の支度もせずに、朝子はもう四、五時間もキャンバスのまえに坐って、考えたり、悩んだり、筆をいれたりしていた。 そのとき、ふと、明かりをさえぎる影があった。振り向くとそこに夫が立っていた。 できあがった画を見られることは何でもないが、制作中の姿を見られることは、夫といえども許したくなかった。つい声を荒げて、制作中はアトリエに入らないでといつもいってるじゃないですか、と朝子はいった。 夫はむっとした不快な顔で、何度も声をかけたが返事がないので上がってきたのに、おれはまだ食事前だからなと、階段を音高く降りていった。 画を描きだすと朝子はなにも耳に入らなかった。それに遅くなるといっていたのに夫は早く帰ってきた。声をかけても、頭の隅にこれっぽっちも夫の存在がないのだからなおさら、夫の声が耳にとどくはずはなかった。 筆を洗い、画に布をかけてから朝子は下へ降りた。 夫はふてくされて食卓の椅子に坐っており、朝子を見ると、おまえも大家になったものだなといった。 「それだけじゃないよ、このごろおまえが何を考えているのか、おれにはさっぱりわからんよ」 友だちと飲んでくるといっていたのに、早く帰ったのは、面白くないことでもあったのだろうか。最近朝子は夫についてうすうす感じていたことがあった。それは男の淋しさというものかもしれなかった。 男は小さいときから、おまえは男だろうといって、男らしく生きることを両親から躾られる。それはできるだけ自分を抑えて、社会と関わりあっていく生き方だ。 勤めると、会社員なら企業戦士として、公務員なら公僕として頑張らなければならない。夫は頑張るという言葉を口にすると嫌がるが、たえず職場では頑張ることを強いられているからだろう。 しかし、男にとってもっとも切ないのは、退職間近の心身の疲れだろう。いったいこれから何がのこり、どう過したらよいか、夫は判っていないようだった。 そこへいくと女は、子どもと遊びながら日常生活を過してきたから、そういうものを卒業すると、こんどは自分のやりたいものに向って進んでいける。多くの主婦はその日がくるのを手ぐすね引いて待っている。もし、夫と自分とのこれまでの人生の過ごしかたの隠された部分のカードを出しあったら、かなりのずれがあるだろう。その溝を埋めることができないと、熟年夫婦の別居とか、離婚とかになるのかもしれない。 朝子のいいところは、その場の空気を察して、すみやかに方向転換できる器量だった。夫は妻にまで拒否されて傷つき、沈んでいた。このままだとお互いの間が険悪になる。 朝子は一度脱いだ夫の外出着と革のジャンパーを持ってくると、かつて何度も、拗ねている息子の気持を明るい方へ持っていくために、息子の好きなものを食べに連れていった経験をいかして、「わたし、夕食作ってないの。外へ食べに行きましょう」と夫に外出の支度をさせ、さっさと車に乗せた。夫はあっけにとらわれていた。 夫が今もっとも気に入っている居酒屋へ直行した。のれんをくぐって中へ入り、カウンターのまえに坐ると、金沢から駆け落ちしてきたという噂がぴったりの若い主人と女将さんが、いま、あなたたちのことを話してたの、そうしたら見えたので嬉しいわ、といった。 その一言で、夫は相好をくずし、若い女将さんの注ぐ熱燗の酒に舌づつみをうった。 「いいところへ来ましたよ」と若い主人はいった。「真子がれいのいいのがあるんです。刺身にしましょう」 朝子も同じものを貰い、若い主人自慢のあんこうの味噌汁とご飯も頼んだ。 夫の機嫌はなおっていた。 (おわり) 1999年3月 北海道新聞日曜版掲載 |