随筆あれこれ

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記憶の投影

 このまま結核菌に冒された右足を放っておくと、やがてその菌は内臓まで侵触して死ぬことになると言われ、七歳の私の右足は腿をほんの僅か残して切断することになった。二・二六事件のあった秋である。
   しかし、問題はその後のことだった。火葬にふされ、この世にもはや存在して無いのに、私の頭の中からその右足の記憶は失くならなかった。たとえば夜、寝床にはいってまもなく、存在しないはずの右足が忽然と甦って左足と平行して並び、臑にかゆみまで覚え、私はあわてて夜具をはぐ。右足はない。あたりまえだった。それなのに、その幻影でしかない右足のかゆみはなかなか消えない。イライラしながら脳細胞の気紛れがおさまるのを私は気長に待つしかない。

 もっとひどいのは右腿の切断面に脳から集まってくる神経の量がいっぱいになることだった。何かが始まりそうで不安でいると、やがて幻の足の指先へ向かって、その大量の神経が電流のように流れ、一晩中私を眠らせない。うとうとすると、また神経が流れて目が覚め、存在しない右足を探す脳細胞の執拗さが鎮まるまで、つきあわねばならなかった。
 幻の足に悩まされながら、そのうち私は、このように脳に右足の記憶があるからこそ、失った右足に似せて作った義足を操ることができるということを知った。私は義足を外からきた思想と呼んでいる。それをいかに内なるものに変えられるか。それは脳にある右足の記憶をかりてはじめて可能なのである。
 私は脳に、これは一時雲がくれしていた君の右足だからうまく折合ってくれよと、右足の記憶を利用して義足に結びつけ、歩けるようになったのだった。だれも私が片足の少年であることに気づかなかった。

 ところで、これとはまったく逆な事にまもなく私は出合った。手足のどこにも故障がないのに、その手足の動かない人たちである。彼らをリハビリ室で見てふしぎに思い、母に、小父さんたちの手足はどうして動かないの、と聞いた。すると母は、頭にある手足を司っているところがこわれたの、と教えてくれた。
 頭と身体は連動しているが、それは別々なものであることをそのとき知った。さらに大人になって、私の脳が幻の足を追い求めていることや、リハビリをしてこわれた記憶の修復をしていたひとたちを思い出して、頭と身体との間に齟齬が生ずると、人間は途方に暮れるしかないことも知るにいたったのである。ロボットは故障しても部分だけで、そこを修復すればすべてが直る。人間はそうはいかない。人間が途方に暮れるのは、脳細胞の記憶は、もう存在しないことが判っていても無い右足をこりずに追い求めるからで、それが人間だけにある悲しみというものだった。
 ここから私の思考は飛躍する。脳の右足の記憶をたよりに私もまたひょっとして、あり得たであろう五体満足な自分自身が存在しているのではないかと闇の空間にその人間の悲しみゆえに想像するのであった。これは追憶でも、郷愁でもない。
 頭の中の記憶がこわれると、手足があっても何の役にもたたないことや、手足を探すことを知った私は、そこに記憶の宿命というものを感じないわけにはいかなかった。

 ときどき、私は脳細胞の記憶に、「もう、足はないのだよ」といってやることがある。
 すると、ひたすら右足のみを追い求めている記憶は、「判ってるさ。しかし、お前もまた、だれかの記憶の投影じゃないのか」といい返してよこすのであった。
 そうかもしれない。私も「何者」かの記憶の投影ということは十分にあり得ることだ。
 右足を探しに腿の切断面に頭の中の記憶の神経が集まるように、私も深夜になると白い紙をひろげて思考の準備をする。そして人間とは何か。なぜ存在するのか。さらに、なぜ人間は戦争するのか。なぜ人を騙すのか。なぜ権力を欲しがるのかと、いくら考えても答えの返ってこない問いを、えんえんと問いつづけているのだった。
〈北海道新聞 平成12年2月7日〉


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