随筆あれこれ

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函館山(1)

 私の子供の頃、函館山は決して身近な山ではなかった。昭和十年代だから、函館山は要塞地帯で、麓に点在する民家のつきたところに、バラ線が張りめぐらされ、一歩でも近づくと旧日本軍に畏脅されるか、場合によっては銃殺されかねなかった。
 その山は眺めることしか許されない。しかも又、眺めることさえ十分に許されていたとも思えない。知らずに眺めていると、どこからともなく憲兵が現われ、挙動不審の廉で訊問する。見ていただけで連行されることはなかったが、その山をと見こう見して、不快な思いを味わった人も少なくない。見ることさえはばかれるのだから、撮影もスケッチも許されず、到る処に、要塞地区により××を禁ず、という標示が立っていた。
 古いところでは1616年(元和2年)年、良道がこの山に登山して人間の幸福と平安を祈ったという記録が残っている(「蝦夷島奇観」)。さらに、1800年(寛政12年)5月28日、伊能忠敬が函館山を測量しており、この日が全日本測量の第一歩である。しかし、1899年(明治32年)から敗戦(昭和20年)までの約五十年間、函館山は全山要塞地区とされ、信仰のための入山も、測量も、学術調査もいっさい禁じられ、ことごとにこの山の様子は秘密にされた。
 ただ皮肉なことは、この日本軍の強引な政策が、この山にある数百種の動植物をなにひとつ損なうことなく自然のまま保存してきたことである。

 秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、という言葉がある。今の函館山は秘密がないから、もはや花ではあるまい。けれど、私の子供の頃函館山は文字通り秘密の山であったから、花であったに違いない。どんな花だったのか。妖怪変化の花―つまり、デマの源泉だった。そのうち私は二つのことを記憶している。
 一つはある日函館山に凶悪犯人が逃げ込んだという噂である。しかし、なんの凶悪犯人か説明がなく、犯罪者が巡査におわれて、山に駆け込んだというのだ。他日この噂に尾ひれがつき、この凶悪犯人はいつの間にか軍人にされていた。日本の軍人は神兵なはずだから、犯罪を犯す道理がない。これは悪質なデマである。しかし妙に辻褄が合うのだ。山の支配者は軍で、鉄条網から上は治外法権である。警察官といえども許可なしでは這入り込めぬ。そこで当然警察は捜査願いを出したが、きき届けられず却下され、かくして、犯人軍人説が飛び出たらしい。
 こんな事実があったかどうか判らぬが、鉄条網から上は官憲の手もとどかぬ所で、犯罪者の逃亡には恰好の場所であった。それに函館山は広い。数人の軍人で監視できる筈がない。してみると治安が悪い。警察当局が函館山に警官の自由立入りを申し出てもふしぎはない。
 けれど当時はなんといっても軍国主義の時代で、警察当局の治安云々は、軍の神聖を犯すにも等しく、憲兵隊の逆鱗にふれ、官憲の自由立入りなぞ、もってのほかのようであった。そんなことから、警察と憲兵隊との間で、しばしばトラブルが起こり、この噂話も二つの勢力の衝突と読めば頷けないでもない。
 今一つは函館山の要塞としての機能である。どうもこのデマは当時の軍が流したふしがある。
 函館の空にしばしば飛行機が飛ぶ。戦闘機である。それも突然函館山の裏側から姿を見せる。見方によっては函館山の裏に、地下の滑走路が隠されていて、飛行機はそこから飛び立ち、抜けるような蒼い空をナイフのように鋭く上昇するように見える。もしかすると函館山に地下組織の飛行場があるというデマを、本当らしく裏付けるために、軍はそんな飛行のさせ方を、操縦者に命じていたかもわからない。

 少年時の一時期、私の家は練兵場の近くに在った。夕方になると、そこから、前に三人後に二人の隊列を組んで、五人の兵隊が武装して函館山に向かった。これは日課になっており、出発の時間も決まっていて、近所の人には時計代わりになった。私は夕方と記憶しているが、正式の時間は午後一時とか二時とかの昼下がりであったかもしれぬ。
 練兵場の閉門は六時で、二、三分前になると、閉門を知らせるラッパが響く。鳴り終わると鉄の扉がおろされる。夕方、哨兵が出掛けたのでは、一日前に出掛けている交替の哨兵は、六時まで兵営に戻られない。練兵場から函館山まで、徒歩で往復四時間かかる。私の夕方説は誤解で、練兵場から五人の兵隊が出掛けるのは、おそくても午後の一時か、二時頃でなくてはならぬ。
 しかし、私のこころに鮮やかに記憶されているのは、昼下がりの明るさではない。夕暮れどきの函館山に向かって歩く五人の兵隊の後姿である。函館山は日の出の山ではない。西南の方向だから、日没の山で夕暮れどきが美しい。山頂の空がほのかに赤く色づき、建物の影が長くなると、山の稜線がくっきりと望まれ、突然、函館山は巨大な鳥が羽を一杯に展げた恰好に変わる。そして又、巨大な鳥の展げた羽かと思って眺めると、函館山が現われる。五人の兵隊は何も語らず、秘かに、黙々と、重要な密書を携えて、黄昏の街をその謎めいた山に向かって去っていく。
 カフカに「皇帝の密書」とう短編がある。この短編の意図を十分に探るのは困難だが、ふしぎと魅力のある作品である。ある日、一人の使者が皇帝から重要な密書を預かる。彼はそれを何処へ持っていくか判っているが、宮殿には沢山の扉があって、なかなか外に出られない。そのうち日が暮れる。外に出られなければ密書は相手に渡らない。カフカは、使者がうまく外に出られたとは書いていない。使者の前に無数の扉があって、それを次々開けて、疲れきり、いらだっている使者の姿がそこにあるだけだ。
 勿論、少年時代の私はこの「皇帝の密書」を読んでいたわけではない。しかし、これに似た不安を、私は夕暮れどきの函館山へ向かって歩いていく五人の兵隊の後姿に感じていた。
 はたして彼らは無事に山頂にたどり着いただろうか。山に差しかかった時はもう陽が沈み、暗闇で、歩き馴れた道を闇の中に見失うことだってあるだろう。間違って獣の道に這入り込むことだってないともいえぬ。……とすれば、大事な密書は山頂の隊長にとどいただろうか。夜、床に就いてからも、私の不安は消えない。そういえば私は、山から戻って来た兵隊を見たことがあっただろうか。
(続く)


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