コラムあれこれ |
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これは娘から聴いた話だが、ある日、孫の康介が幼稚園から帰ってくると、突然、お母さん、ボク名前変えたいけど、だめなの、といったという。 「名前って…康介って名前のこと」 すると孫は頷(うなづ)いて、 「変えることできる」 と念をおした。 てっきりこれは幼稚園で何かあったと思った娘は、 「康介って名前、いやなの? これはお父さんとお母さんと考えて付けた名前なのよ」 「いやじゃない」 「じゃ、どうして名前変えたいの」 「じぶんで、じぶんに名前つけたらだめなの」 「何て名前つけたの?」 「しんご……」 「しんご君のお母さん誰なの」 「お母さんじゃだめ」 「お母さんは、康介のお母さんだもの」 「そうか、じゃ、しんごのお母さん探すさ」 そういって孫は勉強道具を片付けに兄と一緒の部屋へいった。その後姿を見て、不安になった娘は私のところへ電話をよこし、 「こういうとき、どうしたらいいんだろう」 といった。 娘が不安になったのは、孫の、自分で自分につけた名前、しんごの母を探すといったことらしい。 放っておいたほうがいい、といった後で、そういえば自分も幼い頃、親の付けた名前の他に、自分にいろんな名前をつけてみた。それは自分のなかの可能性を探すことだったような気がする。 孫も五歳になったので、自分のなかで活躍したがっている能力に気づき、それを発揮するために、自ら「しんご」と命名してみたのだろう。 そしたら母親から、「しんご」のお母さんは―と水を差されて戸惑ったようだった。 (立待岬・北海道新聞道南版/平成九年) |