コラムあれこれ

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正月のできごと

 とつぜん恐怖が私を襲った。
 私は正月になると煮物ばかりの食べものにすっかりあきてほとんど何も食べたくなくなり、少食になる。そんなときテレビからビーフステーキの焼く音がきこえ、つぎにそのステーキに赤ワインがかけられて炎が高くのぼるのを見た。それだけで私は食欲をそそられ、そのできたばかりのステーキを食べたいと思った。恐怖はこの瞬間に私を襲ったのである。
 血のしたたるような神戸牛のステーキを「食べたい」と思ったのは、私のなかに、長いこと動物の肉を食べてきた遺伝子が確実に存在しているからだろう。恐怖の正体はそれである。
 ものを考え、書を読み、人生いかにあるべきかと考えつづけ六十数年も生きてきたのに、テレビのなかのステーキに、私のなかの動物の肉を食べてきた遺伝子に火がつくと、そのできあがったステーキをひたすら、食したいと思うのである。この、食欲からまぬがれないことが恐怖なのである。肉を食したいということは、古代からずっと引きずっている弱肉強食の思想だろう。年を取ってもこの思想が克服できないのだ。
 私は肉を食ってはならないということをいっているのではない。自分が菜食主義者になれないことを知っている私は、それだけに野菜しか食さないという人物を尊敬している。いつになったら私も、野菜いがいは決して口にしないというおだやかな性格の人間になれるのだろうか。
 ここのところずっと食物連鎖ということを考えていた私は、食物に関してやはり人間の罪は重いと思っている。しかも私はイエスの想像力に最大の関心を集めて彼の少年時代に思いをはせているのに、なんと情けないことが起こったんだろう。とつぜん、神戸牛の最高のしもふりの分厚い肉がフライパンで焼かれ、じゅうじゅうと音をたてている様子をイメージするだけで、そういう贅沢(ぜいたく)な肉料理を味わいたいという誘惑に抗しきれないでいるのだった。
       (立待岬・北海道新聞道南版/平成十年)

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