コラムあれこれ

トップページ

神さまのアルバム


 午後の日ざしがそそいでいる縁側の座布団に座って、目の前に革張りのアルバムをひろげると、まだ小学生前の孫の私をつかまえては祖母はそこに張っている写真の話をした。私が生まれたときはすでに人手に渡っていた七飯の別荘が写っている写真で、祖母を中心に、私には顔なじみの叔父、伯母、叔母たちが並んでいた。もちろん父もおり、「これがお前の父さんの小学校のときの写真で、走るのが早かったよ」と祖母はいった。
 その、祖母の全盛期の家族や一族の写っている写真集には見知らぬ人たちもいた。しかし、どのページをめくっても母が写っていない。私も弟たちも写っていない。祖母に、お母さんはどうしていないの、ぼくも弟も写ってないけど、どうしてなのと尋ねたものだった。
 こういう孫の質問を祖母はいかにも楽しみにしていたようだった。「いいことに気が付いたね。お母さんはね、まだお父さんの嫁さんでないから、どこかの家の、そうだ、寺中家のアルバムにあると思うよ。でも、このときはまだおまえは生まれてなかったのよ」「じゃ、どこにいたの?」「そうね、どこにいたんだろうね。神さまの手の中かね…」
 神さまの手の中といわれて幼児の私は頭を悩ませたと思うが、大人になった今も困らせているのは男女のめぐり合いということだ。
 もし父と母が会わなければ私は存在しなかったのである。父と母はどうして出会ったのか。祖母がいうように、神さまの仕業か。
 最近私はこう考えているのである。この世の中に私は出現したいと神さまに働きかけて、父と母を出会わせてもらったというふうにである。しかも片足の困難な人生を生きることも合わせて私は選択したのである。
 私が毎夜、原稿用紙という白い紙に向かって思索し、物を書いているのは、祖母のアルバムには写っていないが、神さまのアルバムに写っている私を探すためであった。
 そこにはこの地上に出現することを選んだ私の意志の顔が写っているはずだからである。
(平成12年4月 北海道新聞道南版「立待岬」)


<次のコラム> <前のコラム> [閉じる]