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コラムあれこれ

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選ばれた人


 近所にいたキリスト教の牧師夫人は、片足義足の小学校六年生の私を、「あなたは選ばれた人です。神様はあなたの進むべき道を教えています」と言ったが、今、私は、この「選ばれた人」という言葉をそっくりそのまま、永いこと偏見と戦ってきたハンセン病患者に贈りたい。
 決して治らない病気を「不幸」と考えるか、「選ばれた人」と考えるかは、その本人の生き方にかかっている。私も永いこと、何故ぼくは片足しかないのか、と冷たい社会に対して憤り、のろったりもしたが、あるときその牧師夫人の言葉がよみがえって、「そうだ、ぼくは選ばれた人かもしれない」と考えるようになった。
 私は生まれた時は五体満足な赤ん坊だったが、二歳のとき結核性関節炎にかかり、七歳のとき右足を切った。たまたま昭和十一年で、二・二六事件があり、そしてまた北条民雄が文学界に「いのちの初夜」を書いたのも、くしくも昭和十一年であった。私は自分はやはり、片足を失う病気にかかるように運命づけられていたと思い、こういうふうに神が私を選んだ理由を片足で生きることでみつけようと思った。
 北条民雄がハンセン病にかかったのは、昭和八年。結婚していたが破婚。昭和九年(二十一歳)五月、東京都下東村山のらい病療養所全生病院に入院。彼がかかったハンセン病は、当時は癩(らい)といわれていた。萬世一系の天皇の国家で、あってはならない病で、隔離され、戸籍まで奪われ、最初からこの世に存在しないというように家族とも縁を切られた。
 しかし「いのちの初夜」は現在四十版をかさね多くの読者を持った。それは、彼は不幸としてハンセン病と向かいあったからではない。「選ばれた人」として彼は己の苦悩と対峙したからだ。
 ハンセン病をらいとして差別し、この地上から抹殺しようとした日本国家にたいして、彼はこう弾劾する。この病院には人間は一人もいない。人間として扱われない。人間ははく奪されたのだ。生物としての「いのち」だけが残った。「……癩になった刹那に、その人の人間が亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。廃人なんです」。ここから北条民雄は、この苦悩のなかでどう生きるか考える。「新しい思想、新しい眼を」持って再び「人間として生き復るのです。復活、そう復活です。びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです」
 すごい文章だ。すごい作家だ。川端康成が発見したのだ。北条がもっと永生きしていたら、ハンセン病棟の様子はさらにくわしくわかっただろうが、二十四歳の若さで、最後は結核で死ぬ。父が遺骨を取りに来た。
 故郷もなく、どんな人物なのかもすべて伏せられ、北条民雄のペンネームで「いのちの初夜」だけが残った。川端康成の「寒風」は北条民雄の死を書いたものである。
(北海道新聞 立待岬 平成13年6月)


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