×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

コラムあれこれ

トップページ

日本の女は文化である


 久しぶりに旅に出た。それも初めての松江と出雲だ。出雲大社に着いてびっくりしたのは発掘された古代の柱を目撃できたことだった。直径一メートルある柱三本束ねたもので、その巨大な柱数本でかつての社を支えており、柱も含めた社の高さが五十メートルあったとのことだ。これは「古事記」にある通りで、「古事記」の記録が事実であることが証明された。  しかし本居宣長が指摘したように、「古事記」の神話がすべて歴史というわけにはいかない。私はどちらかといえば梅原猛の、もともと出雲族とは大和族であったという説に近い。出雲大社に祭られている大国主命にしたがって九州から出て来た天孫降臨族に斬殺されたと思っている。  旧大社の前に立っていると、夕方であったが、霊がいっぱい出てきたのか体がひんやりとしてきた。寒くなったので車に乗り、松江にいった。  次の日は松江城の外堀を一周したあと、小泉八雲の記念館へいった。八雲は、はっきりと、日本の文化は茶道でも華道でもない、女であると書いてあった。私は、あっと驚いた。  日本の女がなぜ日本文化なのか。その理由を八雲はきちんと述べている。日本の女は、立居振舞いやあいさつや女としてのやるべき仕事や食事を作る日常の中に、じつに宗教的なものを身につけて行っており、これこそ総合した日本文化の象徴だというのだ。  田嶋陽子女史が聞いたら柳眉をさか立てて、それだから日本の女には近代がないのだ、男社会に隷属されてきた日本の女を文化とは何事だ、とさえ言うかもしれない。  小泉八雲は日本に帰化した名前だが、もとの名前はラフカディオ・ハーンである。やはりヨーロッパから来た人間の眼に明治の女は、世界に類のない淑女に見え、文化そのものに映ったのだろう。  日本の女は文化である、とはいい言葉だがそこにはやっぱり女の自由はなかった。私は文化といわれる女よりも、男の横暴と戦うしなやかな女が好きである。 (北海道新聞 立待岬 平成10年12月)


<次のコラム> <前のコラム> [閉じる]