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城址の風情


 サクラがあんなに美しいのは、その下に、人間が埋められているからだ、と言った奇抜な妄想を抱いた梶井基次郎は、若くして死んだ。サクラの樹の下に埋められた人間とはどんな人間か。女なら怨念を抱いた美女だろう。男なら冤罪で切腹した武士かもしれぬ。サクラと切腹というのはじつによく似合う。もっともこれは私の困った美意識のせいだ。しかし、サクラの樹の下に、世間の指弾を浴びるような悪い人間が埋められているとは思えぬ。
 サクラといえば、私は五稜郭公園のサクラを思い出す。子供の頃、よく花見に連れられていった。サクラの下に筵(むしろ)を敷き、親戚縁者、友人等が集まって、酒を飲み、どんちゃん騒ぎがはじまる。酒が一滴も飲めぬから、大人になってからも、サクラの下で酒を飲んだことはないが、子供の私はまして酒を飲むどころか、サイダーを飲みながら、醒めたひややかな目で、大人たちの醜態をみていた。
 醜態もサクラの下ではまたよく写った。日本人にとってサクラの下でのどんちゃん騒ぎは、リオのカーニバルに等しい。年に一度の死者まで出るというバッカスの祭りは、肉を常食にする西洋人のやみ難いエロスの爆発だが、米を常食している日本人はそこまでいけぬ。せいぜいサクラの下で、酒を浴び、日頃の鬱憤をはらすどんちゃん騒ぎで終る。
 函館のサクラは、夜ザクラは函館公園だが、昼間なら、なんといっても五稜郭のサクラがいい。城はないが、城址の風情があり、その土手に咲くサクラは、遠くから見ると無染の白い雲がたなびいているように見え、近づくと、うす紅の花びらの群生だ。神秘という名に相応しい。しかも、二、三日経つと、すでに花はなく、緑の葉のみのサクラの樹が、土手に無数に並んでいる。まるで遁走する美女のように、美の供宴は一瞬にして崩壊する。このいさぎよさに、日本人の魂はしびれるのだろう。何故なら、サクラは日本人の虚無思想が丹念に作った花だからである。
(掲載紙不明/さくら点描 1982年5月7日)


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