内と外と

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内と外と (3) 

 障害者でありながら、そうでない振りをするのは、恨みでも、見栄でもない。自分の存在が、いともかんたんに、障害者という曖昧な言葉で括られることに不満があったからだろう。
 そういうことでは何も片付かない。障害者とは外見のことではなく、それぞれの意識の問題で、一人一人どんなふうに障害者になったか、その受け取り方は異う筈である。
 私の場合は、ある日重苦しい眠りから覚めると、いままであったはずの右足がなくなっていたのだった。
 こんなふうに何の前ぶれもなく、ある日を境に、障害者にさせられたが、受け入れるしかなかった。最初の、束の間の、健康な誕生は何かの手違いでしかなく、やはり、私は、障害者として人生を始めるようになっていたようだった。
 義足を付けて、かれこれ五十数年経つ。その間、障害者とは何かということを考えてきたが、最近、私は、大変むずかしい問題にぶつかった。それは生まれながらの盲人の存在である。
 ときどき私は、デパートの六階の、食べ物の専門店が並んでいる賑やかな一角の寿司コーナーで、いつも綺麗にしている若い母親と一緒の、中学生と小学生の二人の盲目の男の子と出会う。
 私は彼らの真近かで、ここの自慢の安くて旨いにぎり寿司を食べていた。
 二人の盲目の兄弟はさっぱりとした顔をしていた。両方の目はつぶったままである。しかし、なにか言葉を発するときは、そのつぶったままの目の奥で、目の玉が動いているようだった。
 服装も趣味がよく、揃いのセエターに黒のズボンを穿いていた。
 六階の他にも、洋食とか、めん類とか、しゃぶしゃぶとかの店があるのに、他へはいかずこのデパートの六階へ来て食事をするとなると、専ら寿司コーナーで、にぎり寿司を親子で食べている。ここの女店員からも聞いたのだが、他の店に入ったのを見たことがないという。何度かその寿司コーナーで彼らと会っているうちに、その理由がわかった。それは盲人にはにぎり寿司の方が食べいいからであった。
 彼らは手みの方がいいのである。箸やフォウクで食べるのは、目が見える方が便利だが、彼らの食事する様子を見ているうちに、盲人は指が目の代わりであることが判ったのであった。
 先ず、にぎり寿司のはいった器が三つ、それぞれの目の前に置かれると、母親は息子たちの前に醤油のはいった小皿をさしだし、真向かいに坐っている兄の唇に、醤油のついたヒラメのにぎりを持っていった。こうして兄に、ここに醤油の小皿、ここににぎりの入った器があることを教えた。次に彼女は、隣の弟にも兄と同じことをした。盲目の兄弟は、それぞれ納得して頷くと、次からは、自分たちの手で寿司をつまんだ。
 母親は暫く自分は食べずに、子供たちの食べている姿を見ていた。しかし、その顔は明るくなかった。笑ったことがない暗い顔であった。顔立ちがととのっているだけに、その顔はいっそう淋しそうにも冷たくも見えた。  私は子どもの頃の母の顔を思い出した。私の母も物思いに耽っていた。当時、結核は死にいたる病いで治らなかった。その病いに数え年二歳の私はかかっていたのだった。とくに膝や腰の結核は痛みが酷かった。足が痛くて泣き叫ぶと、母はどうしていいか判らず、ただ一緒に泣くしかなかったといった。そんな生活が、右足を切断する小学校一年生まで続いた。
 寿司を食べながら、その盲目の弟はときどき小声で歌をうたった。おいしい物を食べていると、つい歌が、口をついで出るようだった。
 彼にはそこがどんなふうに想像されているのだろう。彼は何も見えないのだ。だから私が見ているものと、彼が頭のなかで考えているものとは同じではないだろう。
 その寿司コーナーには、カウンターと椅子席と小上がりがあり、盲人の兄弟と母は、私の隣の椅子席に坐っていた。客はカウンターに四、五人、小上がりに七、八人いた。
 威勢のよい寿司職人の、いらっしゃい、という声が、客が入ってくる度に快くひびいた。
 椅子席の硝子越しに、子供の遊技場が見え、マシンの音や、子供たちの騒ぐ声がし、また、何を食べようかという声や、食べものの店をどれにしようか物色している足音も聞こえていた。
 盲人の兄弟には音が総てだから、その音の一つ一つを識別し、組み立てて、そこがどんな様子なのか想像しているにちがいなかった。弟は兄にも一緒に歌をうたおうといい、二人は、食事の合間合間に、歌を口ずさんだ。  彼らには周囲は明るくて、楽しい処であるらしかった。
 弟は歌をやめると、隣の母の髪のにおいを嗅いだり、手で顔を撫でたりした。目で確かめられないので、鼻と指で母親の表情を確かめているようだった。母親は子どものなすがままにさせていたが、余りうるさく顔を触ったり、大きな声で歌をうたったりすると注意した。
 その母親はまだ三十四、五歳くらいだろう。美しい顔立ちだけれど、若々しさや溌剌としたものはなかった。その顔の真ん中に居座っているのは、運命にたいする戸惑いだけではなかった。ここまでなんとか盲目の息子たちを育ててきた苦労と、これから先どうなるのだろうといった苦慮だった。私はその母親に同情した。
 しかし、これは盲目の兄弟をないがしろにしていることだった。彼らをあるがままに受け入れていないことでもあった。
 彼らは明るかった。悪びれたところも、卑屈なところも微塵もなかった。嬉しいと笑い、気分が乗ってくると歌をうたった。
 目の見える人間は、その盲目の兄弟を見て気の毒がったが、これは不遜なことだろう。彼らは一度も二つの目で世界を見たことがないから、われわれが見ている世界とは、まったく別な世界に住んでいるのだ。彼らの世界は鼻と耳でとらえたもので、そこには何ひとつ欠けているものはなかった。彼らはわれわれよりも、遥かに深い、大きい、そして、まだ神々が生きている古代に住んで充足しているかもしれなかった。
 私はときどき見せる弟の仕種に注目した。弟は思い出したように隣の母の顔を両手で触るが、それには理由があるようだ。たんに、そこに、母の顔があるからではなかった。母の顔に触ったあとの、彼の思案げな表情に、彼が母の顔を触った意味が暗示されていた。自分たちがこんなにも嬉しいのに、どうしてお母さんの顔には表情がかたく、自分たちと一緒に喜んでいないのだろうという疑問を、ふと、彼はのぞかせていたのだった。
 これは顔の触り方がわるいからだろうかと、また、彼は、今度は角度をかえて母の顔にを触った。 
 しかし、やはり結果は同じで母は喜んでいなかった。母の顔には、かたい芯のようなものがあった。それが弟の指先に奇異に感じられるのだろう。ぼくらがこんなにも満ち足りているのに、お母さんはなにが不服なのだろう。  考えあぐねて彼は兄に合図をした。兄と弟はテーブル越しに手と手を合わせた。それは丁度、目と目で互いの心を語り合うようなことと同じことらしかった。
 弟の疑問に答えるように兄は自分の指先から合図を送ったようである。弟は母の方にまた顔を向けた。そして、今度は鼻と耳とで母の表情を読み取ろうとしていた。
(北方文芸 1994年1月号)


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