社会時評「四千字の世界」
 
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社会時評
四千字の世界[目次]

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四千字の世界
卑屈さの研究
・原型としての物語
・私怨・組織・革命
・地下室からの「私」
・発達から成熟へ
・昭和の終焉
・私の文学空間
・「事故」の解読
・昭和五年の不幸
・目黒中二の殺人が
 意味するもの
・平成元年フットボール
・犯罪大国日本
・血の日曜日
・経済は世界の終末に
 向かって繁栄する
小説の運命
・続 小説の運命
・「雪国」をめぐって
・殺人犯の母親
・脳死と死体
・埴谷さんと
 ナスターシャ
・深夜の妄想
・湾岸戦争とPKO法案
・道化の唄
・私の自衛隊論
・支配は姿を変えて
 登場している
・証人の証人
・最初に障害(異変)
 ありき
・男の文化、女の文化
・梅毒とエイズ
私は「平和憲法」を守る
・コメの文化
・文学は差別を書くこと
・三面記事
・死体と死後の世界

木下順一
 
        私は「平和憲法」を守る

 私が函館市立的場中学校で教鞭をとっていた昭和23年10月から昭和26年3月までの3年間、日本はアメリカの占領下にあったが、良い時代ではあった。日教組も文部省も教育は教師にまかせて干渉することもなく、教師も生徒ものびのびしていた。
 学校とは「スコオラ」というラテン語からきており、「暇」という意味である。暇な空間であるから、学問が発達し、個性が尊重されるわけで、じっさい暇がなければ、一人一人の生徒の資質は発見できない。当時は、その「暇」があった。

 時折り私は、もうはるかな昔の教員をしていたその3年間のことを思い出しては、あの3年間は歴史なのか神話なのかと迷うが、そうした幸運な時代は永くは続かなかった。昭和25年(1950)元旦のマッカアサーの年頭の辞から少しずつ雲ゆきがあやしくなった。
 このときの年頭の辞は二つのことで注目された。一つは講和条約が近いことを匂わせたことと、いま一つは自衛隊肯定論を展開したことである。その箇所を抜きだすとこうなっている。
「…この憲法(平和憲法)の規程は、たとえばどのような理屈を並べようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃にたいする自己防衛の冒しがたい権利を、全部否定したものとは絶対に解釈できない。」
 もって廻った妙な文章だが、これはアメリカ側の、最初の占領方針が変わったことをいっているのである。そしてこの方針の変更はどこにあるかといえば、憲法第九条戦争放棄を拡大解釈して、日本に軍備を持たせることが狙いであった。
 しかし、これは「紛争解決」や「自己の安全保持」のための手段としても戦争を放棄し、「日本はその防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」とした「マッカアサー・ノオト」にも、そしてまた、国会審議のさいの、「侵略戦争も自衛のための戦争も、ともかく戦争はいっさい惨害をもたらすからこれを放棄する」といった吉田首相の答弁とも矛盾するものであった。

 マッカアサー・ノオトの、「日本の防衛を委ねた崇高な理想」とは、「国連」のことである。アメリカだけでなく、その他の連合国も、また戦争を起こして破れた国も、戦争の悲惨さは勝敗に関係なく酷いものでどんなことがあっても戦争はすべきではないという考え方が強く、またそういう気持ちが当時の「国連」には生きていたのである。そういう「国連」の精神や、世界のそういった総意が、「第九条戦争放棄」を折り込んだ日本の「平和憲法」であったはずである。
 それが僅か4、5年経つと、米ソの対立が始まり、国連の精神も理想もかんたんにどこかへ吹き飛び、アメリカはアメリカにあった、かつての「世界精神=世界宗教」を忘れ、ただひたすらアメリカという国家の偶像のみを謳歌し、しきりに日本に憲法の改正を迫り、軍隊を持つようにいってきたのであり、その走りがこのときのマッカアサーの年頭の辞なのである。

 新学期が始まると、夜遅くまで、この年頭の辞をめぐって職員会議が開かれた。
 戦後、教師の合言葉は、「教え子を再び戦場にやるな」であった。ここには無知ゆえに国家権力に騙されて、あたら若者を戦場に送って死なせてきたという戦前の教師たちの痛恨と反省があった。それだけにこのときのマッカアサーの年頭の辞は晴天の霹靂であった。
 夜遅くまで会議が持たれたからといって、夜食が出るわけではない。腹をすかしながら、こと教育の危機となると空腹もいとわず、だれもが真面目に意見を交わしたものだった。私は二十歳の若造で、どんな些細な問題にも敏感に反応した。
 今、私は、もうかれこれ四十年も前のことを思い出しているのだが、夜遅くまで続いた会議のあと、私は中年の先生と帰りが一緒になった。彼は一人者で私をうどん屋へ誘った。そして、いまのようなコシのしっかりしたうまいうどんではなく、柔らかく不味いそれを食べながら、彼は「君はまだ若いが、マッカアサーの年頭の辞や、突然豹変した吉田首相の国会答弁をどう思う」といった。
「世界の情勢が変わったんでしょうね」
「そうなんだよ、変わったんだよ」
「すると先へいって、日本は憲法改正するんでしょうか」
「その方向へ、どんどん向かっていくだろうね」
「もう始まってますか」
「十年先か二十年先か判らないけれど、日本人はやがて、『天皇か憲法か』どちらかを選ぶことになるだろうね」
 その後で、その先生は、平和憲法は、世界宗教のようなものだといった。モオゼがイスラエルの民に偶像を捨てよといったのは、その先生にいわせると、国家を捨てよということだった。国家は偶像である。その国家を捨てて、どの国(共同体)も差別しない唯一神のヤハウエと契約せよというのがモオゼの教えである。
 普通、神というのは共同体から生まれる。共同体というのは、一つの規則を持っており、そこには共同体を統一する長がいて、その長の仕える神が、共同体の神である。
 しかし、モオゼがいう唯一の神とはそういう神ではない。共同体や民族を否定する神である。それらを超える神で、その神がイスラエルの民を選んだのである。カフカの言葉をかりていうなら、「ディアスポラー」というにのはモオゼのときからのユダヤ人の宿命で、ユダヤ民族(イスラエルの民)は穀物の種のように世界に撒かれ、人類のさまざまな力を内部に摂取し、孵化し、昂揚させる存在で、モオゼは今日なお依然として生きているという。
 しかし、そのモオゼは、後にイスラエルの民によって殺害され、モオゼの一神教は、結局ユダヤ民族に都合のいいヤハウエに改竄され、イスラエルの民は世界宗教としての神を捨てたというのである。
 その先生にいわせると、モオゼとは崇高な理想をかかげた「国連」であり、「平和憲法」とは彼の説いた「ヤハウエ」であり、イスラエルの民とは敗戦後の日本人であるというのだった。
「これで判ったと思うけれど、先へいって、日本人もまた、世界の総意であったところの『平和憲法』を捨てるかもわからない」
 その頃、彼は37、8歳であったと思うが、いつも彼の机の上には島木健作の小説がのっており、文学の話ができる唯一の教養人でもあった。
 しかし、彼とは親しくなる時間がなかった。癌を患っていた彼はそれから間もなく死んだ。湾岸戦争のとき、私は彼のことを思い出し、四十年も前の彼の慧眼にただ驚くばかりであった。

 細川首相は国連の演説で、「国連」が三つのことを改正すれば、日本は「国連」において十分に役立つように努力するといった。別な言葉でいえば、三つのことを改正すれば、日本は安全保障常任理事国になることはやぶさかでないということだろう。その三つのこととは、一つは常任理事国の態度の問題だ。そこで協議されるのは、紛争解決ばかりではおかしいということだ。紛争の原因は何か。それぞれが国家主義になっていることではないのか。またその原因は、環境の問題でもあり、経済の問題でもある。紛争解決が武力のみによるものなら、「平和憲法」を持つ日本はとうてい参加できない。
 二番目は、常任理事国の数の問題だ。先進国だけが常任理事国であることには問題がある。三番目は財政の問題で、財政のたてなおしなくして、「国連」とはいえない。
 しかし、この細川首相の発言は、新生党や新生党に同調する公明・民社や自民党の一部や、またそうした右よりの政治家を擁護している学者や経済人のあいだでは評判はよくない。外務省も苦々しい思いでいる。
 憲法改正となるとおおごとだが、細川首相に反対する政治家たちの腹は、このさい「国連」の常任理事国になにがなんでもなった方がいいという考えだ。憲法はそのままに、ともかく、常任理事国になる。紛争解決には、武力を以てすべきだ。集団自衛権が「平和憲法」で禁じられていると国内で騒ごうが、「国連」という大義名分で押しきれるだろうと彼らは考える。
 もう一部は、憲法改正して堂々と「国連」に参加しよう、細川首相のいう、いまの「国連」が変わるということは不可能に近いから、というのである。
 問題は、こうした根底にあるものの正体だろう。彼らは、「平和憲法」がいやなのである。それは共同体の神でないからだ。世界の神だからだ。「平和憲法」の精神は、時には国家を捨てよ、ということで、国家は偶像崇拝にすぎないからである。しかし彼らが欲しているのは、その偶像崇拝の国家で、国家は、国家の神の天皇が必要であり、その「天皇」に仕える軍隊が必要であり、そういう日本国として彼らは常任理事国入りがしたいのである。
 三島由紀夫がわれわれに突きつけたものは何か。それは「天皇」か「平和憲法」かで、「天皇」も「平和憲法」も両方持つ、というのは矛盾であると彼はいうのだ。べつな言葉でいうと「日本民族」か「世界宗教」か、ということになるのであり、いずれかを選ばねばならないというのである。
 私は「世界宗教」をとる。そして、幸いなことに、いまの天皇・皇后は「平和主義者」で、お二人とも元首や国家宗教として担がれることを好んでおらず、それを私はありがたいと思っている。
(1993.12)