随筆あれこれ

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老いと童話

 (2)

 私はもう大人のために書くことが何もなくなった。自分の精神形成史でもある『流砂の手記』はすでに書き終えて一冊の本にした。永年考えてきた死と死後の世界の橋渡しともいうべき死体とそれを扱う湯灌師の小説三部作、『湯灌』『気配』『儀式』もすべて書き上げて発表した。あと残るは孫のための物語である。
 昔、祖父はいろりの周りに孫を坐らせ、寒い夜長を自分の知っている昔噺を喋って聞かせたものであった。
「むかし、むかし、あるところにな、とても強い子どもがおったという……」
 すると孫たちは固唾をのんで話のなりゆきに耳を傾けた。しかし今は、いろりはないし、祖父もいない。核家族で子どもたちは深い経験と知恵をそなえた老人の声から、幻想譚も知の物語も聞くことはない。
 二人の孫も札幌にいるからめったに会えない。たまに訪ねていくと、テレビゲームに興じている。あるいはテレビが一方的に流すアニメを背を丸めて見入っている。終わるとすぐにまた別なことを始め、こうして幼い子どもの頃から単に時を埋めることにしか考えず、私の知っている、あの機転はきかぬが、のんびりとした、そしてときには突飛な想像力に駆りたてられて何の役にもたたないものを作ったりする少年はどこにもいなくなった。
 二人の孫も与えられた勉強をし、一方的にテレビの流す物語に耽り、疑問を持ったり、想像力を働かしたりする場や時間はどこにもない。機械のような人間になるのではないか。
 家の造りはどうか。彼らはマンションに住んでいる。間取りは機能的でそれぞれに部屋を持っている。マンションは老人には便利だが子どもを育てるには相応しくない。先ず家のなかで遊べない。廊下がない。押入れも納戸もおざなりだから、家のなかでは走り廻れないし、かくれんぼも意のままにならない。外へ出ても広場はないから、相撲をしたり、鬼ごっこをしたり、縄跳びや石蹴りも出来ない。何より車の往来が烈しいから、交通信号を守らないと命が危ない。家のなかでも、外に出ても、いまの子どもたちは目に見えない強い力で押さえられ、管理されている。
 それでいて二人の孫は、私の少年時代のような自由に振る舞える生活をした経験がないから、管理されている今の生活を不自由だとは思っていない。自分たちは飼い馴らされて厭だという不満はあるが、それが何によるか気づいていないのである。
 この間久しぶりに札幌へいって孫に会った。長男の部屋に這入ってびっくりした。年々、ものが増えている。私の子どもの頃とくらべて小学生としては立派な机に、参考書や辞典が何冊も並んでいる。深夜でも朝方でも勉強できるように光が二段階に切り替えられるライトが机についている。背後にある彼専用の衣装ダンスには、カラフルなシャツやパンツや靴下がいっぱい詰められている。
「お前は何でも持っていて幸せだね」
 と私はある種の皮肉をこめていうと、孫は怪訝な顔をして私を凝視めた。その目はたしかに私の言葉を否定していた。私は面白くなった。これは何か反応があると思った。
「おじいちゃん」と孫はいった。
「ぼく何も幸せでないよ」
「こんなにたくさん、いろんなものを持っているのにか…」
 彼は頷いた。やっぱり孫は、現在の物質万能の生活に疑問を持っているのだと私は思い、気をよくして、孫の顔をあらためて見たのであった。しかし孫から返ってきた言葉は、まったく私の予測に反したもので、私の思いは早とちりであった。
 孫はこういったのだ。
「何も揃ってないよ。ぼくはまだまだ欲しいものがたくさんある」
「えっ、こんなに物がたくさんあっても、まだ欲しいものがあるのか」勿論、これは口に出さず、私は孫の顔を見ながら、心のなかで呟いた。
 孫は、学習ノートの付録やカタログを持ってきて私に見せた。そこにはいかにも子どもの物欲を煽るように、高価な運動靴がとりどりの色彩で並んでいた。またリモートコントロールで動く精巧なバイクとか高級車とか、これまたびっくりするような値段のテレビゲームのソフトなども並んでいた。解説も付いている。それらに孫が見入りながら、これも、これも、欲しいけど、おかあさんは駄目だ、誕生日にテレビのソフト買ったばかりだから来年まで何も買ってくれないというんだよ。だから孫は幸せでないというのである。
 ああ、何ということだろう。一方では子どもの人格を重んじよう、子どもの個性をのばそうといっておきながら、その背後で、日本経済は、ただひたすら物を欲しがる子どもを作って、こんな年端もいかぬ幼い子どもの時間まで盗んでいるのであった。エンデの傑作『モモ』のなかに、何でも欲しがる人形が出てくる。一度この人形との遊び方を覚えると、子どもは次から次へと物を欲しがる。この人形はたんなる人形ではない。怖い人形だ。孫もこの「何でも欲しがる人形」に毒され、自分の独自の時間を失っているのである。
 私は覚悟を決めた。たった独りで日本経済に立ち向かうことにしたのである。大人になった男や女の心を煽って物を欲しがらせたり、何枚もカードを使って借金させたりするのはまだ許せた。しかし、幼い、判断力の乏しい、そしてまだ親がかりの無垢な子どもの心を煽って、子ども本来の個性的な時間をことごとく奪い、物を欲しがる人形にしてしまう儲け主義の日本経済は断じて許すことはできない。
 そうだ、私と孫との間には、まだ共通のテーマがある。私が娘のところに泊まると、孫は私の周りに集まってきて私が義足をはずすのを見ていた。彼らにすればふしぎな光景なんだろう。それでも長男はまともに見たら悪いと思うのか、遠慮しがちに、ちらちら見るのだが、五歳の孫はじっと目を据え何ひとつ見逃すまいといった態度であった。そして体からはずした義足に触ったり、叩いたりして、「おじいちゃん、かたいね」といった。
 この二人の孫は義足に限りなく興味や関心をよせてはいるが、どうしておじいちゃんは右足がないのとか、義足なのとかは訊かなかった。本能的にそういうことを直接祖父にたずねたら悪いと思っているようだった。私が語って聞かせられるドラマというのは、私が、いつ、どういう理由で右足を失ったかという昔々の話であった。一緒に住んでいないので私は深夜、机の上に白い紙を広げ、その傍に一合の牛乳と一かけらチョコレートを置き、あたかも目の前に興奮している二人の孫がいるかのように延々と明け方まで、私は子どもの頃の自分を思いだしながら文字でドラマを語りかけているのであった。
 ただ、自分の過去を思いだし、右足をどんなふうに失ったかを話すだけではドラマは少しも面白くない。その犬はまもなく死んだ。私は想念のなかでその犬を蘇生させたのであった。
 その犬はどうして早死したか。運動ができないからだ。そこで昔々の子どもの頃の右足のない私は、その甦らせた犬に義足を作ってやることにした。しかし、そのドラマのなかの、「私」の両親も姉も兄も、また近所のひとも家へ毎日来るご用ききも犬に義足を作ることに反対した。彼らは、犬は人間とちがって義足をはくことがむずかしいというのだ。十歳の「私」は、犬は猫とちがって長いこと人間に馴れてから、人間のいうことならなんでも聞き、忍耐と訓練とで、犬は絶対に義足を操れるようになると主張する。そして、「私」は「私」の義足を作ってくれた義肢製作所の佐々木のおじさんに弾力のある強いゴムの義足を作ってもらって犬にはかせ、その犬が義足を操るようになるまで、「私」と犬との二人三脚が始まったのである。
闇の向こうから二人の孫は、白い紙に魅せられて文字を綴っている私に、こういった。
「おじいちゃん、その犬、なまえないの」
「あるよ。ガロっていうんだ」
「片足のガロか」
「そうだ、片足のガロだ」
「走れるようになるの?」
「最後はおじいちゃんの思った通り走れるようになったんだ。この童話はね、義足の少年と片足のガロの友情物語なんだ。みんなが不可能だといったことを義足の少年が可能にしたお話なんだよ」
 これは思い付きではない。私は自分の過去にテーマを採って、二人の孫のために片足の犬に義足をつけさせ、走れるようになるまでの少年と犬との悪戦苦闘を一遍のメルヘンにしたのである。
(「黄昏転居記」より)


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