随筆あれこれ

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タバコをやめた


 飛行機の中でのことがきっかけだ。函館千歳間だから、何も喫煙するまでもないのだが、乗り物に乗ると、どういうのか私はやたらタバコが喫いたくなる性質で、それで続けて二本くらい喫った。うしろに、夫婦者がいた。中年で、主人らしき男は顔色がすぐれず、いかにも病み上りといった風情だった。傍に坐っていた妻は、どこの家庭にもみかける口うるさい夫の倍も肥えた女で、私の吐くタバコの煙を週刊誌を扇にして夫が吸わないように、ぶつぶつ文句を言いながらあおぎ、病み上りの夫を煙の害から守っていた。私は二本目のタバコを喫っていたとき、そういう後ろの光景に気が付いたのである。
 高見順の小説の題名じゃないが、「厭な感じ」がした。何がいやかといえば、タバコの煙から夫を守る妻の仕種だ。そんなに煙が恐ろしいなら、禁煙席に乗ればいい訳だ。そこが一杯で席がなかったなら、仕方があるまい。それを女は顔を顰め、これみよがしに、私の吐くタバコの煙を週刊誌を扇代りにして夫の傍にこないようにあおぐ。私は二本目の、まだ喫える長いタバコを揉み消して、喫うのをやめた。こうまでされちゃとても喫っていられない。妙にみじめな気持で、そして何だか悪いことしているようで、それからずっと落着かなかった。心の中では、そんなにタバコの煙が怖いなら、核兵器はもっと恐ろしいのだから、一つの反核運動の仲間にでもはいって貰おうと思った。しかし、往々にして、タバコの煙には敏感に反応するが、原発とか核とかになると、そういう連中はどういうのか平気でいるのが多い。とくにびっくりするのは医学的立場からタバコの害より何十倍も核の方が恐ろしい筈だ。微量にしても、蓄積されるから、タバコの害と比較になるまい。また食品添加物の方が、タバコより、もっと害がある筈だ。
 しかし、私がこんなこといっても、嫌煙権という運動がひろがってくると、人目を気にし、肩身のせまい思いで、タバコを喫うようになる。もうそういう時代だ。アメリカでは喫煙者は生命保険や火災保険の掛金も高いという。いずれ日本もそうなるか。
 ともあれ、人目を気にしたり、隅っこでみみっちくタバコを喫うくらいなら、喫わぬ方がいい。そこできっぱりやめることにした。ピエール・ルイスに言わせれば、近代人の発明した快楽は二つあるという。一つは小説であり、もう一つはタバコである。小説が衰微したら、タバコまで迫害された。面白いことだ。
 タバコをやめるきっかけは、飛行機の中の、涙ぐましい、そして私にはあつかましい程厭な感じの、どこの誰とも知れぬ人妻の振舞いによるが、タバコも小説も個人的で、贅沢な楽しみであり、それがみみっちく、隠れてやるくらいならやらぬ方がましである。タバコも小説も心意気の問題である。小説の方はさておいても、タバコは心意気で喫うものだ。
 ところがタバコをやめるということは、ものすごく大変なことだと判った。三十数年間喫い続けてきて、その間一度も、タバコをやめようと思ったことがなかったため、タバコをやめるという意味がどういうことか判っていなかった。はじめて知ったのだが、タバコをやめるというのは、生活を変えることだった。
 十七、八の時から喫っているのだから、タバコは妻よりつきあいが古い。先ず目覚めとともに寝床の中で喫い、食事の後で喫い、雑談しながら火をつけ、原稿につまっては一吸と、考えてみると、一日四十本から五十本のタバコは、ときには思考の、ときには雑談の、ときには一人でのんびりしているときの合手のようなもので、私の生活の中での一部であった。
 今度は寝床の中でも、雑談しながらも、一人で考えているときも、タバコが喫えない。その時、その時で、私の生活のリズムをささえてきたタバコを生活からはずすと、そこには手持無沙汰な穴が出来る。タバコには嗜好品としての魅力もあるけど、それはなんとか我慢出来ても、この生活のリズムをささえてきた習慣というのは、そう簡単にいかぬ。といってタバコに代るものがない。タバコをやめるむずかしさとはここにある。
 タバコをやめると宣言して、二三日しかもたないとか、一週間でだめになったとか、よくきくが、問題はタバコをやめることの意味を十分に知ってないからだ。タバコをやめるとは、タバコを喫っていた自分と、まったく別な自分になることだ。そこがむずかしいのだ。
 どういうふうにして別な自分になるか。それは本人にも判らない。俺はタバコをやめたのだと自分に言いきかせ、タバコが喫いたい誘惑と戦い、タバコを喫わない一日一日の自分を作っていくその過程の中で、まったく別な自分が出来上がっていくのだ。タバコをやらなくても、寝床でものが考えられ、タバコをやらなくても雑談が出来、原稿が書け、自在に考えることが出来るそういう自分が、やがて何日か、何十日か、何百日かむこうに出来上がる。タバコをやめるとは、そういう自分を作ることとの戦いでしかないのである。
 タバコをやめて一か月になるが、まだタバコを喫っている夢をみる。又、ふと無意識にポケットに手を入れ、タバコを捜している自分に気付いて、俺はタバコをやめたんだと自分に言いきかせ、そして苦笑している。
 これからもタバコの誘惑と戦うことになると思うが、このごろその戦いも面白いとおもっている。
(タウン誌「街」 No.270 1985年2月)


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