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随筆あれこれ

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精神不安と医者


 九月の末、突然、私は自分自身を見失った。しかも場所は走る電車の中においてである。今でも明瞭に覚えているが、その日は九月の末とはいえ大そう暑い日であった。そしてたまさか私はホリタで開催していた画の即売会の会場で、林武の「バラ」に見惚れていた。そこへ顔中髭だらけの画家の箱根君がやってきた。彼は人相は悪いが大変良い人間であるが、その大変良い面白い彼に誘われて、ホリタにある喫茶店岩船でコーヒーを飲んだまでは、はっきりと記憶している。だがそこで箱根君と彼の可愛らしい妻君の二人と別れて、谷地頭行きの電車に乗り、電車のドアが、勢いよくばんとしまったとたんに、私の肉体から、私は突然いなくなったのである。
 私の肉体から私がいなくなると、そこに残された私は、じつにたよりない私である。見知らぬ土地で母を見失った幼児となんら変わらない哀れで、不安におののいている私が、どこへ連れていかれるのかまるでわからない電車に乗っていたのである。たしかに私は電車の中で、わめいたような気がする。そして私はたった一区乗って、すぐに中央病院前で、ともかく電車をおりて、車を拾い、まっすぐ家へやってもらった。
 家へ着いたとたんに私は畳の上に倒れてしまった。その次に私を襲ったのは、ものすごい量の汗である。汗は足の裏からも掌からも湧き出て、流れはじめた。その次がけいれん、そして心臓が急に苦しくなった。最初は脈が早くなり、次は脈が遅くなり、遂には、心臓の鼓動があるのかないのかわからなくなった。呼吸が苦しくなったとき私は、ああ、もう死ぬかもしれぬと思った。死ぬかもしれぬと思うと、悲しくなった。
 この時の悲しみには三つの理由があった。一つは私には現在中学二年の女の子がいる。私の楽しみはこの娘が二十歳くらいになって、物がわかったとき、人生や社会や芸術について話し合うことである。このまま死ねばその楽しみは味わえないわけである。次がこれまた私事にわたるが、私は今まで大変妻に苦労ばかりかけて、その苦労に何ひとつとしてむくいていない。このまま死ねば苦労のかけっぱなしで終わってしまう。それも私にとってはまことに心残りである。三番目はこれといった仕事をしていないことだ。長生きしたからといって、世の中に残る仕事がはたして出来るかどうかわからないけれど、しかし、今このまま死ねば、私は人にも世界にも誇りうる仕事を何ひとつ残さず沈黙せねばならぬ。
これはたえられないことであった。私はそんなわけで、もう少し生きたいと思った。けれど呼吸は苦しくなるばかりで、私は死を観念しはじめた。すると不思議なことが起った。呼吸がほんのわずかだが楽になったのである。そのうち、医者が来た。この医者は私という者をよく知っている人で、私の脈をとり、又妻からだいたいの様子をきいただけで、私の心臓の発作を「神経性心悸亢進」と診断し、注射をし薬をおいていった。その薬を大量の水と一緒に私はのんだ。医者から、死ぬ心配はありませんよ、と笑顔で言われただけで、私は救われた気がし、呼吸もさらに楽になったような気がした。そのうち私は眠ってしまった。
 次に日、私は妻につれられて、ある病院の精神科へいった。きのう往診に来たかかりつけの医者が、私の妻に精神科へ早くつれていった方がいい、と言ったからだが、この時の妻と医者との会話はあとになって私は知った。それによると、私の瞳は常人の瞳でなかったらしく、かなり、精神が神経に犯されていると医者は判断したようだった。
 ところがその精神科に通院しているうちに、私は、精神科の医者にあきれかえってしまったのである。その結果私は精神科の医者にたいして不信感を持ちはじめたのである。さるにしても精神科の医者と自ら名乗っている医者の中で、本当に医者として通用する医者はいったい何人いるだろう。その数はもしかすると、かなり少ないのではないか、……そして私を診察した医者は、とても精神科の医者とは思えない。
 とくに精神不安や神経障害はまったく個人的な病気であり、いわば個性的な病気である。これは胃とか肝臓とかの障害とまるで違う。従って医者は患者の生活や家庭環境や仕事やその他もろもろのまったく私的なことに通暁していなくてはならない筈である。そこで私は、いかにして私が私自身を見失っているか喋ったが、医者は少しもまじめに聴いてはくれぬ。患者がこんでいるため、医者が一人の患者についやす時間は五分くらいと考えて、私が十分も十五分も話をつづけるのがたまらなく面白くないような顔をする。さらに、私が質問しても、決して明晰な答はかえってこない。結局精神科医の治療は、さまざまな薬を患者に投与することである。その薬もやたら眠くなったり、今度はけいれんしたりする強い薬である。一種の人体実験である。  半月ほどで私は医者をかえた。そして精神科ではなしに、次は循環器科へいき事情を詳細に喋ると、この循環器科の医者は熱心に話をきいてくれて、ある程度明解に私の謎や質問に答えてくれた。これは薬よりも私の内的世界にある種のやすらぎをあたえてくれた。
 そうこうするうちに私は薬剤師の友人に会い、私の症状を喋った。彼は「レイジット」という漢方薬をすすめてくれた。私は循環器医の調合した薬に「レイジット」を併用してのみはじめた。それがよかったのかどうかは知らぬが、突然見失われていた私自身がもどってきた。
 しかし、かくして見失われていた私がもどって来たからといって、病気から放されたわけではなかった。現在も私は精神不安に襲われ、人が多く集まる場所へ出ると足の裏や掌に極度の汗をかき、なんとも名状しがたい妙な精神状態におかれる。だが、その回数も少しずつではあるが、少なくなっている。
 さて、ある日突然いなくなった私自身とは、理性とか記憶とか自我とかいったものではない。私のさまざまな感情をコントロールしている強力な私なのである。それがいなくなったというより、もろもろの感情をコントロールしてきた今一の思考力のようなものが、ある日突然故障したのかもしれない。一時は、十日間も、私は恐ろしくて家から一歩も外へ出られなかった。外へ出ても、すぐに家へ帰らねば不安でならなかった。多分からだの具合がもっともひどい時、私がかかっていた精神及び神経の病気とは大変悪質な鬱病であったのかもしれぬ。なんとなく今の私はそんなふうに考えている……。(1972.12.15)
(月刊はこだて 1973年1月 No125 )


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