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私とザムザ


 ある日、目を覚ますと、ザムザは一匹の毒虫になっていた、で始まるカフカの「変身」が、死後友人ブロードの手で上梓されると、カフカの名声は一躍世界を席捲し、プラハは忽ち二十世紀文学の中心になった。
 ザムザはどこでもいる平凡なセールスマンである。寝床のなかでいつものように半覚半睡の状態を楽しんだあと起きようとしたが体が自由にならない。ふしぎに思い、どうしたものかと様子を見ると、ザムザの体は巨大な昆虫になっていたのである。
 私も眠りから覚めると一匹の毒虫になっていた。私の場合毒虫とは障害者のことだ。生まれたときは五体満足だったが、右膝に侵入した結核菌が暴れだすと切除するしか助かる方法はなく、七歳で私は右足を失った。
 己が毒虫に変身したことに気がつくと、ザムザはもう昨日までの人生が閉ざされたことを知った。私は、少年の頃は差別が少なかったので、自分の存在が毒虫とは気づかなかった。私のその自覚は昭和三十年、大学を出たときだ。障害者の私は一匹の毒虫ということで、どこも使ってくれず東京を去って函館にもどった。
 カフカは「変身」で何を書いたか。昨日が明日に続かないという人間生活の存在と不安である。いつまでもザムザが起きてこないので、妹は心配してドアの向こうから叫ぶ。「おにいちゃん、どうしたの」。ザムザは布団が重く起きてドアをあけることも出来ない。
 生のなかにこそ、死以上の暴力的な不条理があることを、私はザムザと自分とをかさねてはじめて知った。そして、私もザムザも、政治や宗教で救えない二十世紀の苦悩を生きていると思った。
(北海道新聞 立待岬 平成9年)


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