コラムあれこれ

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三途の川


 もう一度会えないものかと亡き妻への思いは募る一方だった。これからもその思慕はつづくのだろう。何かの調子で、ふと、そうした心の深淵に落ちるが、ある日、そうだもう一度会えると思った。私が死んで三途の川を渡るとき、その渡し場に迎えに出るのは必ず妻である。今は亡妻はどこにいるか分からぬが、三途の川で会えると分かると、気持ちがなぐさめられた。
 それにしてもいったい誰が、こんな素晴らしい幻想物語を考えついたのだろう。もう一つ私の心を癒してくれたのが、ドイツの作家シュトルムの「みづうみ」である。物語の冒頭老人が小さな肖像画に目をやり、「エリーザベト」とささやく。たちまち一転して小説は彼の少年の日にかえる。エリーザベトとは幼馴染みの少年の恋人だった。大人になったら二人は結婚するつもりでいた。しかし少年ラインハルトが大学へ行っている間、エリーザベトは彼の友人の資産家と結婚した。
 十九歳のとき、私はこの「みづうみ」を今は亡き妻と逢引したとき、読んで聴かせたことがある。すると彼女は私にどんなことがあってもあなたを追いかけると言った。
 シュトルムのこの短編は彼の事実と異なる。シュトルムには歳のはなれた恋人ドロティア・イエンゼンという幼馴染みがいた。シュトルム二十九歳のときドロティアは十六歳で余りにも若すぎて結婚できず、彼はいとこのコンスタンツェと結婚した。
 しかし結婚するといかに自分がドロティアを愛していたか分かった。人生の伴侶とすべき本当の恋人を彼は喪った。この喪失の悲しみは三年も続いた。その苦しみを癒すために書いたのが「みづうみ」である。小説とはいえ、再びエリーザベトに会うまいと去って行くラインハルトの姿は胸をうつ。
 かつて妻は私に、私を捨てて「みづうみ」のような小説を書かないでねと言ったことがある。もちろん冗談だが、その冗談も今は切なく思い出される。
 夫婦とは何か。いろんな出来事があったが、永い時間かけて、一つの愛を完成させる関係であることを私は妻を喪って初めて知ったのであった。
 (平成15年11月 北海道新聞 立待岬)


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