トーク・トーク

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憲法改正と日米安保

  憲法改正を言うなら、先ず最初にやることは、不平等な日米安保条約を破棄してからするのが筋だろう。この不平等な日米安保条約がある限り、憲法改正はあくまでもアメリカに追従したものになることは間違いない。そのことに自民党の政治家が一言も触れないのは、日本国民をなめていることで、断じて許せない。政治家たちよ、政治家である前に社会的人間、市民であることを思い出せ。チェ・ゲバラやカストールは侵略されていたキューバをアメリカから奪う時、何と言ったか。「われわれは政治家ではない。われわれは社会的人間で、われわれがやることは、政治革命ではない。断じて政治革命ではなく、社会革命である」。私はそのカストールの社会革命には大賛成だが、七十五年間一本足で生きてきた私は、多くの障害者のために、その下にもう一言補いたい。存在革命である。埴谷雄高がいみじくも言うように、社会革命だけでは足りない、そこにはヘレン・ケラーの悩みは入っていない。存在革命がいる。幸福な人間も不幸せな人間も真に人間として生きていくには、人間とは何か、という存在革命がいるのである。
 トーク・トークを愛読してくれた読者に、私は最後のトーク・トークを送る。ここで私は三つのことを言いたい。一つは存在革命を忘れるな。二つは、憲法九条を死守せよ。三つめは、貧乏のすすめだ。政財界が声高に唱えだした次世代を考えない憲法改正や経済発展は次世代から夢を奪い、地球破壊に繋がる。今こそ欲望の制限こそ大事で、貧しさを知り、そのなかで人間とは何か、自分とは何かを考えることだ。若者をこれ以上、経済発展の欲望で煽るな。煽っている長は日経連の奥田会長である。彼は九条をなくし、おおっぴらに武器生産をする野望をいだいている。
 トーク・トークを読んで、スカッとした、よく思い切って書いてくれたという声が多く届く。しかし、今は亡き妻はいつも私の安全を心配していた。事務所に右翼から怒鳴り込まれたことがある。電話で脅されたことも数度ある。「天皇のことを書いたら、ただでおかない」と自宅へ電話がかかり妻がびっくりして、私が帰るなり、「あなた、余り過激にならないで下さい」と言った。
 最後なので告白する。何故これまで私は現在の日本国憲法に賛意を表し、これを守れというかといえば、この憲法こそ、世界唯一の「存在革命」を高らかに謳っているからだ。不戦の誓い、これほど美しい魂の憲法は世界のどこにあったか。今や世界は日本の平和憲法を讃美し、世界の総意にしたいと願っているのだ。
 さらに、まったく個人的なことを言うと、日本の敗北によって、そして平和憲法によって、私は救われたのだ。帝国旧憲法下では、私は人間として扱って貰ったことは一度もない。片足がないということで中学校からもしめ出され、十六歳で敗戦を迎え、平和憲法になってから、初めて人権、市民権を得、大学にもいくことが出来た。だが障害者ということで、就職はどこを受けても「不採用」、それで文筆で生活しようとなり、タウン誌「街」が曲がりなりにも四十三年続いた原動力になった。
 知り合いの女性は、一人息子を海外協力隊にやった。今彼はキリマンジェロのふもとで頑張っているが、よく一人息子なのに手放したと思って、秘かに尊敬している。ご主人も協力的だったという。しかし問題は、その海外派遣が終わると、そこで得た知識や経験を生かせる態勢がないということだ。日本政府や外務省は、民間による海外貢献をこんなデタラメなおざなりな目でしか見ていない。いったい何を考えているのだ。民間による海外貢献もまた存在革命なのだ。その知り合いの女性は、こういった、人間を鍛える一番いい場所に行ったので、心配するのは母として当然。簡単に言えることではない。憲法九条を守る行動をおこしたいとも言っている。
 私はこれまで妻の力をかり、腰の痛みをがまんし、札幌の平和集会の場に出席した。妻亡きあとこれから一人でどうなるか。  もうトーク・トークは書けないが、若者たちに本当の夢を持ってほしいから、欲望の恐さを知らせ、人間としてまっとうに生きるなら貧乏を知ることだと教えていきたい。すべての母に、子供に、貧乏を知ることをすすめたい。
 武力で守られた国は世界史の中に一つもない。武力を一度使えば勝った方も負けた方も必ず亡びる。国や国民が生きのびるのは、憲法九条を切り札に、じっくり話し合うしかないのだ。
 四十三年間タウン誌を発行してきた私は、あと僅か残っている人生の時間で、画を描きたい。小説に専念したい。そしてもう一つは、文学の戦友であり、人生の戦友であった妻の供養をしていきたい、と思っている。
 これまでこの欄を愛読してくれた皆さんの力があったればこそ、ここまで続けてこられた。心からありがとう。さようなら。
(タウン誌「街」トーク・トーク、2005年2月・510号)

※タウン誌「街」は、木下順一の遺志を引き継いだ方々により2006年6月に復刊し、現在年4回発行している。2009年1月、521号が発行された。

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