社会時評「四千字の世界」
 
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社会時評
四千字の世界[目次]

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四千字の世界
卑屈さの研究
・原型としての物語
・私怨・組織・革命
・地下室からの「私」
・発達から成熟へ
・昭和の終焉
・私の文学空間
・「事故」の解読
・昭和五年の不幸
・目黒中二の殺人が
 意味するもの
・平成元年フットボール
・犯罪大国日本
・血の日曜日
・経済は世界の終末に
 向かって繁栄する
小説の運命
・続 小説の運命
・「雪国」をめぐって
・殺人犯の母親
・脳死と死体
・埴谷さんと
 ナスターシャ
・深夜の妄想
・湾岸戦争とPKO法案
・道化の唄
・私の自衛隊論
・支配は姿を変えて
 登場している
・証人の証人
・最初に障害(異変)
 ありき
・男の文化、女の文化
・梅毒とエイズ
私は「平和憲法」を守る
・コメの文化
・文学は差別を書くこと
・三面記事
・死体と死後の世界

木下順一
 
      卑屈さの研究
          ―復古調『日本史』批判


 噂はかなり早い段階で流布していたが、それがはっきりしたのは岩川隆氏の『決定的瞬間』という、『中央公論』に連載された最終回のエッセーが出てからである。そのエッセーに、強制されてではなく、自ら進んでアメリカ軍に協力した日本兵の捕虜の話が出てくる。彼の名前を頭文字だけとってここでは、一応M少尉としておく。このM少尉は捕虜になると、突然アメリカ軍の爆撃機への同乗を願い出、日本本土の爆撃に協力したというのである。たまたま同機に、アメリカ海兵隊所属の従軍カメラマンD.D.ダンカンがおり、M少尉の重要地帯指示の現場を撮影し、この少尉について彼は、「全世界にショックを与える信じがたい行為。明白なる不忠、反逆行為」と批判し、呆れもした。しかし岩川隆氏は、「自分がそのような場に置かれたとき同じこと」をしないとも限らぬと、M少尉の行為への理解をほのめかしている。私も岩川氏に同調し、このM少尉の行為を、「明白なる不忠、反逆行為」ときめつけることは出来ぬ。
 このM少尉の行為は、日本人について考えるとき重要な手がかりになる。又日本人の愛国心について考えるときもおおいに役立つ。彼の行為が全世界の人々に不可解に映ったのは、自ら進んで、父母兄弟の住んでいる本土を敵国の爆撃機に同乗して爆撃を指示したところにあるのだが、この一見われわれにも信じがたい彼の行為も、よく考えてみると、ふしぎでも、信じがたいことでもない。他の国民にはなくても、日本人には充分あり得る反逆行為である。それは卑屈さからくるのであり、そういう卑屈さは日本人なら殆どの人間が持っている。問題は何故かかる反逆行為が生じたかで、元凶は明治以後の日本の、西欧文化の追従と教育のせいである。特に昭和にはいってからの愛国心の謳歌と国粋主義による教育のせいである。

 私もその体験者の一人で、終戦のとき夜学の二年生であったから、滅びる筈がない神国日本が滅びたという大変なショックから立ち直るのに時間を要した。しかしもっと大きなショック、カルチャーショックがあった。終戦まもなく上陸してきたアメリカ軍である。鬼畜米英の教育が徹底していたために、彼らが上陸すると同時に婦女子はたちどころに捉えられ、強姦されるものとばかり思っていた。ところがそんな事は全然おこらない。覚つかない英語で彼らと接して驚いたのは、彼らの文化の高さである。この時の体験を私は短編小説に仕立てたことがあるが、一人の二十代の若者と親しくなり、彼から熱いココアをご馳走になった。そのとき彼は兵役がすんだら、ヴァージニア大学へいくという。屈託のない明るい青年で、懐から二つ折りの革のケースを出すと、父母や妹たちの写真を見せて家族の話をした。又そこには恋人の写真もあり、それを見せながら、恋人の話もした。私が学校でおそわった冷酷非情な血なぞどこにも流れていない。われわれは嘘の教育を受けたのだ。あるいは国際的には通用しない一人よがりの自閉症的教育を受けたのである。
 M少尉も捕虜になって私と同じような、いや私以上のカルチャーショックを受けたに違いあるまい。捕虜になったとたん当然彼は死を考えただろう。捕虜は一家眷族の恥だからだ。しかし自殺の機会がない。そうした捕虜たちの様子がよく出ているのが、大岡昇平の『俘虜記』で、自殺の機会のないことを嘆いているうちに、もっと大きな驚きに捕虜たちは遭遇する。それはアメリカ軍の捕虜にたいする扱いで、すべては日本と逆で、決して暴力に出ない。体罰もない。捕虜とはいえ人権を認め、主体性を重んずる。

 このM少尉は東京農大専門部を昭和十七年に卒業している。その後幹部候補生になっているから、いかなる教育を受けたか想像にかたくない。しかし捕虜になって彼に判ったことは自分が学校や軍隊で受けた教育がいかにでたらめなものであったかで、この時の驚きや恨みは決して小さくはないのである。しかも彼を捉えたアメリカは、処刑しない、惨殺もしない、人権を認めて優遇する。彼は、捕虜になってはじめて一個の人間として扱われたのである。
 従ってこうも考えられるのだ。M少尉は捕虜になることによって、古い日本人の生きざまを思い出したとも。もともと日本人は己を知ってくれる人のために死ぬことが出来る民族なのである。ところで学校や軍隊では、彼はただひたすら国のみを愛することを強いられ、滅私奉公を強要された。これは日本以外の国はすべて野蛮で、日本だけが神国であるという思想の上に成り立つものだから、捕虜になってそうでないことが判れば、こうした急ごしらえの自我は崩壊する。人間は自我が崩壊したままでは生きられない。発狂する。それですみやかに新しい自我の対象を探す必要がある。M少尉にとってこの新しくできた自我の対象とはアメリカなのである。そればかりではない。近代以前の日本人の、己を知ってくれる人のために死ぬという生きざまをも彼は思いだしたに違いないのである。そして彼を知ってくれたのは日本ではなく、アメリカなのである。従ってアメリカに感謝し、恩義を感じ、忠節をつくすのは当然で、強制されてではなく、自ら進んで敵国の爆撃機に同乗しても、M少尉にはなんの矛盾もない。まして世界にショックを与える反逆行為とは思ってもいない。何故なら、もはや彼にとって日本本土とは、彼を知ってくれた共同体ではなく、明治以後、西欧文化追従の仕方があやまった型でなされた、じつに人間性を無視した、自我の支えにならない共同体にすぎなかったのである。

 そうだ私は何もM少尉の反逆の心理をめんめんと辿っているのではない。最近問題になった教科書の話をしているのである。加瀬俊一氏が会長の「日本を守る国民会議」が編纂し、文部省の検定がとおった高校の教科書「日本史」の話なのである。神話からはじまり、皇室を神聖なものとして祭り上げ、日本国民の上に君臨させるのが狙いの、天皇の「人間宣言」もかんたんにはぶいた「日本史」。それだけではない。中国、朝鮮への侵略の責任も、南京大虐殺も何もかも無視して、ひたすら日本を讃美した自閉症的「日本史」で、中国や韓国からまたしても横槍をいれられたが、この「日本史」の編纂も、M少尉の自ら進んでアメリカ軍に協力した行為も、じつは同質の現象なのだ。それは日本人であるが故のかなしい卑屈のなせる技でもある。
 戦後四十年経つが、その間いかにも民主的手続きで培われたように見えるが、しかし戦後社会も、戦前戦中の日本本土と同じように貧弱な共同体でしかなく、とてもまだ日本人の一人一人の自我を逞ましく支えるものではない。いやもともと日本には、明治以前にしても貧弱な共同体しかなかった。そしてそれを補ってきたのが、土居健郎が日本人の特質とした「甘えの構造」の甘えで、私はその甘えと対になっているのが「卑屈さ」と思っており、甘えが日本人の特質の「陽」の部分なら、卑屈さは「陰」ではないかと考えている。従って甘えが崩壊すると、その対の卑屈さが働き、自我の対象をみつける。M少尉の場合は敵国であるアメリカであり、加瀬俊一氏を頂点にする「日本を守る国民会議」の場合は復古調「日本史」になる。

 ここで、「二君に仕えず」という諺を思い出していただきたい。何故こういう言葉があるか。日本人はずっと昔から、戦国時代の頃から、二君に仕えてきた。タキトウスの『年代記』にも、主君をかえたり、裏切ったりする貴族や軍人もいるが、裏切り方の覚悟や残酷さはかなり異なる。ヨーロッパの方がはげしい。それはともかくとして、余りにも二君に仕えてきたので、目にあまり、遂に、「二君に仕えず」という戒めの言葉が必要であった。そもそも日本人にとっては、自我と、それを支える共同体との関係は、それを綜合してアイデンティティと呼んでもいいが、ヨーロッパとくらべて、希薄であり、貧弱である。復古調の「日本史」がかんたんに生まれてくる秘密もそのへんにある。
 彼らの復古主義を批判することはさしてむずかしくはないが、革新をきどる評論家のようなことを言ってみても私は意味がないと思っている。われわれ日本人の自我を支えている共同体が貧弱だから、日本はいつでも外国文化を受け入れるときは、まるごと全面的に何の批判もせずに受け入れる。しかし途中で居心地が悪くなったり、疑問になったりすると、攘夷か開港かといった分裂症を起こす。日本の近代史とはそれの繰返しであったろう。かねがね私は戦後の日本の姿に疑問と危惧の念を抱いていた。戦争に負けたからといって、こんなにかんたんに日本的なものや伝統を投げ捨てて、うまくいくのだろうか。伝統を投げ捨てたために経済的には豊かになったが、自我の方はどうか。「卑屈さ」の正当化ばかり考えている。その最たるものが、復古調「日本史」で、こういうものが生まれてくる背後にあるのが、「甘え」と対の「卑屈さ」だから、もっと日本人の卑屈さを問題にしなければ日本人の心の本当の姿は見えてこないだろう。
(1986.9)