娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


母の七回忌

 六月二十二日は母の七回忌である。母が亡くなった時、中学に入学したばかりだった次男は今年四月、大学生になった。高校生だった長男は昨年大学を卒業して社会人二年目である。夫と私は特に変わったこともないが、二人とも五十代になり老化を感じる年代になってしまった。息子たちの成長を見ていると母の死から随分長い時間がたった事がよくわかる。
 癌にさえならなければ、母はまだ元気でもしかしたら、函館をひきはらって私の家の近くで暮らしていたかもしれない。たまに母の住む所に様子を見にいったり、二人で街に買い物に出掛け、外で食事をしたり母の好きな音楽を聴きにキタラ(札幌にあるコンサートホール)に足を運んだりしていたかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていた。時々、地下鉄で私くらいの年齢の女性が母親らしき女性と並んで坐っているのを見かけると、その老婦人に母の姿を重ねてしまうのだった。
 母が口癖のように言っていたのは、年老いた祖母(父の母親、当時92歳)を看取って、父の最期を見とどけ、すべてのあとしまつをしてから…と。ところがまったくその逆になってしまった。癌の父と年老いた祖母の面倒をみていた母が突然倒れ、あっけなくこの世を去ってしまった。もちろん、私の頭のなかにこのような順番は存在していなかった。街で見かける母子連れを眺めながら、母とゆっくり一緒の時間を持てなかったことを淋しく、虚しく感じるのだった。
 母が亡くなった後、湯の川のマンションで片付けをしていると、母が通勤で持ち歩いていた定期入れの中に私たち家族と父の写真のほかに祖母(母の母親)の写真をみつけた。母方の祖母は私が中学三年生のときに亡くなった。母が中学校の教師として担任を持ち、一番忙しく働いていた時期だった。そして我が家は父がノイローゼで入院し、私も病気がちだったので実家の母親のために時間を使うことが母はできなかったと思う。祖母は函館の近くにある大沼に母と二人でのんびりと出掛けたい、とささやかな希望があった。大沼までは一時間足らずで行ける場所だが、とうとうその望みを叶えてあげられなかった。そのことを母はずっと悔やんでいた。祖母の写真の裏に「汽車にのり 大沼にいきたしと云いし母 のぞみもかなえず 七回忌の席」という母が書いた歌を見つけ、今度は私が七回忌の席で母と同じように考えていた事がわかり何とも不思議なものである。
 一周忌、三回忌はあっという間にやってきて、故人の身の回りの物もまだ片付かず、雑用に追われている状態である。私の場合は母の三回忌のあとにすぐ父の葬儀があり、さらにその翌年祖母(父の母親)の葬儀と本当に慌ただしく時が過ぎていった。
 七回忌を迎え、やっと落ち着いて写真の母に話をする時間ができた。今年は時間をかけて母のことを文章にしたいと思っている。ずっと、心のなかにあった母への想い、それらを文字にして私自身が気持の整理をしたいと考えている。
 しかし、どこから手をつけるといいものか、しばらく悩みは続きそうだ。



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