娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


懐かしい時間

 最近はタウン誌「街」の50年誌制作で函館にいる時間が長くなり、札幌の我が家に戻ってきてもたまっている仕事を片づけたり、三月に大学を卒業する息子のことで細かい用事がたくさんあって本当に忙しい毎日である。二月初めに函館からもどって来たばかりだが、中旬にはまた函館での作業が待っている。
 先日、函館の「街」の事務所でひとりでラジオを聴きながら校正の仕事をしていると、FMいるかの「人ネットワーク」のゲストが声楽家の島聖子さんだった。島さんは私の的場中学校時代の合唱部のあこがれの先輩だった。私は高校2年のときに歌をやめてしまったが、島さんは音大に進み、函館の市民オペラなどで活躍して昨年12月、声楽家として35周年の記念コンサートを開いたそうだ。中学校を卒業してから一度も会うことがなく、私は音楽とは縁のない道に進み、札幌での生活が長くなってしまったので島さんの活躍は知らなかった。ところが父は2002年の秋、函館市民オペラ「ドン・ジョヴァンニ」でのドンナ・アンナ役の島聖子さんの公演を見に行き、そのことを北海道新聞のコラムに書き彼女の歌声を絶賛していた。私は父が亡くなってから文章を読んだ。そのあと50年誌の制作でバックナンバーをチェックしていたら、タウン誌「街」に島さんの文章が載っていて驚いたのだった。父は娘の私と島聖子さんの関係はまったく知らなかっただろう。生前の父の文章を私がちゃんと読んでいれば、もっと早く父に話をすることができただろう。そんな気持ちがずっと残っていたので、ラジオを聴いたとき、なんらかのかたちで島さんに私のことを伝えたくて、事務所から番組にファックスを送ったのだった。その内容はすぐに放送中に読まれた。一昨日、札幌の我が家に島さんからファックスが届き、私は四十年ぶりにあこがれだった先輩と電話で話をした。やはり島さんも木下順一と私が親子だとういうことは当時知らなかったそうだ。函館のラ・サール高校の応接室で父と話をしたときの様子を教えていただいた。
 中学校時代、毎日遅くまでNHKコンクールに向けて頑張ってきた懐かしい時間が私の目の前に広がった。クラブ活動で帰りの遅い娘を心配して、電信柱の陰で待っていた父のことも思い出した。当時はそれが嫌で、父がいることに気が付いても知らないおじさんが立っているかのように声もかけずに、合唱部の先輩や友人たちと家に向って歩いていた。たくさんの人と家のそばまで帰ってくることを確認し安心した父は、娘の気持ちを察して一言も話さず、義足の足をひきずって先に家に帰り書斎で仕事をしていた。島さんと話していて、そんな些細な父との出来事を思い出し、私は胸がいっぱいになった。すべての出来事がいろんなかたちで今よみがえってくるのは、この50年誌のおかげだと思った。
 島さんと懐かしい電話をしたあと、函館市文学館の大島さんから一冊の本が届いた。小学館から2013年1月30日に発行された「全国文学館ガイド」の改訂版だった。2005年8月、初めてこの本が出版されたとき函館市文学館の紹介のエッセイを父が書いていた。亡くなる前の最後の父の文章だと思う。小学館から送られてきた本を私はホスピスに入院していた父に見せた記憶があるがどんな反応だったかは思い出せない。あれから8年経って「全国文学館ガイド」が全面改訂されたのだ。函館市文学館の頁は大きなリニュアルがないのでそのまま父の文章を再録したいという要望だった。「精神のリレーとしての文学」と題し父が書いた文章を8年前とは違った気持ちでゆっくり読んでみた。今は父が伝えたかったことも理解できるようになった。現在、函館市文学館には父の蔵書や原稿、資料などが保管されている。



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