娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


オニオンスープ

 某新聞社の記者のTさんにお会いした。彼女との再会は父の葬儀のとき以来だ。三年前、たくさんの弔問客の中に彼女の姿を見つけた時、私は驚いたと同時にとてもありがたい、と思った。帯広から駆けつけてきてくれたからだ。Tさんと初めて会ったのは父が国立病院で放射線治療を受けている時だった。彼女の最初の赴任先は函館で、当時父が編集・発行していたタウン誌『街』の取材にきたのがはじまりだった、という。父の記事をずっと書いていて、話も聞いていたので、名前だけは知っていた。いつか、私もゆっくり話をしてみたい・・・と思っていた。ところが父の容態が悪化しホスピスに移った頃、Tさんも帯広に転勤になってしまった 。

 父が亡くなった後、病室にいつも置いていたカバンの中にノートや本と一緒にTさんの年賀状が入っていた。もう一度、お会いして彼女が函館で父の取材をしていた頃の話を聞いてみたいと思っていた時に彼女が札幌転勤になったことを知り、私の方から連絡をとってみた。挨拶くらいしか交わした事がなかったのに、ずっと前からの知り合いのように話がはずんだ。と、言ってももちろん父の事ばかり・・・。三年前の三月、父が入院する一月前、「うまいオニオンスープの店があるから食べに行こう」と父に誘われ住宅街にある小さな店に一緒に行ったのが最後だった、と話してくれた。
 父はオニオンスープが好きだった。自分が「うまい」と思ったものは、人にも食べさせ、その人が「おいしい」と言って喜ぶ顔を見るのが嬉しかったようだ。彼女の口からオニオンスープという言葉を聞いて、私は母の事を思い出した。母が癌で入院している時、全く食欲が無く、食べようとしない母に、父は少しでも何か食べさせたくてこの店にタクシーに乗ってオニオンスープを買いに行った。ポットにオニオンスープをいれてもらい、母のところに持って行ったがたくさんは飲めなかった。次の日、母の見舞いに行った私は見たことのないポットがベッドの傍にあったので、何が入っているのか、父にたずねた。母のためにオニオンスープを買いにいった話をし、昨日、全部飲めなかったから今日も母にオニオンスープを飲ませると、言った。ところがポットの蓋を開けるとスープはあめていた。すっぱい臭いがしてもう口にすることはできなかった。私は父にポットに入れっぱなしにしていたら、腐るだろうと少し責めた。その時は母がこんなものを口にしたら大変なことだと、そのことばかりが気になっていた。Tさんからオニオンスープの話を聞き、 あのときの父の悲しげな顔を思い出した。もう少し優しい言い方があっただろう‥‥父がタクシーに乗ってまで買いにいった気持ちをくんであげれなかったことを済まないと思った。そして、父がホスピスにいる時、オニオンスープを飲ませてあげると良かったのに父の好物だったことをすっかり忘れていた。
 Tさんに会った日、妙に父と話がしたいと思い、彼女が書いた父の新聞記事を読み返してみた。父の姿は無いが父を近くに感じることができた一日だった。


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