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コラムあれこれ

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小鳥死す

 二月の中旬、五年も一緒に暮らしていたインコが死んだ。二羽いた。飼った時期がそれぞれ違うため、一羽ずつ籠(かご)が別々で一羽は私に、もう一羽は妻になついていた。死んだのは私になついている方だった。
 朝の六時ごろ、様子がおかしいと寝ている私のまくら元に苦しんでいるインコを妻が抱いて来た。足が冷たい。胸につけて温めたが、もがくばかりだった。二、三日前から食欲がなく気になっていたが、その日の様子は死を予感させた。居間のストーブの傍らで、つききりで介抱したがかいがなく、四時間も苦しんでインコは死んだ。そのありさまを見て、これが命を断つということかと思った。見ているのが辛かった。それでいてじっと見ていた。死を見とどけてやるのが供養だと思ったからだ。出来ることといえば、もはやそれしかなかった。
 死ぬ数分前、最期の力をふりしぼってインコは私の掌(てのひら)から飛び上がった。床に落ちた。羽をひろげてもがきながら暗い所を探した。部屋の隅へいくと、じゅうたんに頭をいれようとする。そこが死に場所らしい。しばらくすると羽をつぼめ、両足をそろえて、そのまま動かなくなった。
 人間は死について思索をする。しかし鳥はそんなことをしない。ただ断末魔の死の苦しみを受け入れて静かに死んでいくだけである。寒い日で庭の雪の下に埋めてやった。
       (朝の食卓・北海道新聞/昭和五十八年)

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