随筆あれこれ

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仏壇を焚く(2)

 ある日私は久しぶりに、たった一人で仏壇の前に坐ってその黒光りのしている扉と裾に螺鈿をはめこんだ中戸を開けて、ゆっくりと眺めた。ここには曾祖父母、祖父母、父が祀られていた。しかし、私の生まれる以前の、七飯の別荘にあったときのことは私はなにひとつ知らない。それとなく耳にした噂によると、曾祖父は使用人は近江から連れてきており、八雲にでんぷん工場もあったというから、病死した使用人もいただろうし、そういうひとたちの霊もこの仏壇に祀られていたかもしれなかった。また父とはいとこに当たる若者が自殺したと祖母から聞かされたことがあり、その若者はお前と同じに画がうまく、画家になる夢を見ていたといった。そして祖母は、その仏壇の抽斗から細長い和紙をとりだし、これが、その若者の戒名だといってみせてくれた。自殺の原因は芸術にたいする苦悩というより病気のためらしかった。わざわざ祖母がその自殺した青年の話をしたのも、孫の私がすでに右足を大腿部から切断して義足を付けていたから、この孫も先へいって、自殺をするようなことがあってはならない、と釘をさしたのかもしれなかった。
 その若者は祖母の妹の息子で祖母の甥に当たった。祖母の妹は男運が悪く、祖母に息子を育ててもらっていた。ずっと仏壇の抽斗にあった戒名がなくなっているのは、祖母の死後父が、その祖母の妹の居場所が判ったので、そこへ送ったからであった。他に仏壇のなかに、祖父の妹の戒名もあるが、このひとも男運が悪く三度結婚したが、いずれも男に先だたれて本家へ戻った。
 死は忌み嫌われる世界だから、人間は立派な仏壇を作って死者を祀るのだろうが、この仏壇のなかには天寿をまっとうした死者の霊だけが祀られているとは限らなかった。点鬼簿を覗くと、三十歳の男、二十歳の女、そして生まれてまもなく死んだ男の児の名前もある。死にたくないと思いながら死んだ人間や生まれたことを呪って病死した幼児もいるのである。
 旧約の『出エジプト記』のなかに「ありてある者」という言葉があるが、この「ありてある者」は神のことで、スピノザは哲学の立場から、この人格神を「ありてある者」とした。私は『出エジプト記』とスピノザの中をとって仏壇のなかに祀られているのは「ありてある霊」と考えている。ここに「ありてある」霊はどれだけあるかわからない。お盆になれば点鬼簿にある霊はみな集まってくる。その仏壇を私は葬ろうとしている。この仏壇を解体して灰にしてしまったらどうなるのだろう。霊たちの年に一度の古巣にもどる楽しみを奪ってしまうことになるのであった。  仏壇には、また、霊だけが祀られているのではなかった。もっと多くのもの、家の歴史が記憶されているはずだ。何度も法事がひらかれ、たくさんのひとが集まり、仲睦まじく談笑したかと思うと、とつぜん、醜い諍いにもなったりしただろう。近親者の死に涙を流したり、嘆きを先祖に訴えたり、人間の喜怒哀楽を仏壇はみてきたにちがいないのである。
 死の向こうに何もないと思うと気持ちはすくんでしまうが、何代にも亘って仏壇は、死の向こうに霊があることを教えてきたのである。それで救われた者もいただろう。なれない商売に手を出して、息子名義になっていた土地や家を失ったあと、父は、仏壇の前に坐って、よく経文を読んでいた。その傍に、小学校まえの、父には孫に当たる私の娘が、きちんとつま先を揃えた素足の裏を見せて坐っていた。娘は、私名義の祖父母の死んだ家で生まれたが、育ったのは、妻名義の、もう一つの時任町の家である。その娘も二児の母で札幌に住んでいる。仏壇よりも自分が育った家を懐かしがっているが、その家もまもなく解体される運命にある。そういえば大晦日になると、いま私が坐っている、庭が見え廊下がかぎの字なっている座敷にストーブをつけ、新年に備えて、父と娘は、仏壇を開けて仏具の掃除をしていたものだった。そのときの光景が昨日のことのように甦ったりした。
 仏壇のよこに戸袋があるが、そのなかに、葬儀や法事のときに使う仏具のはいっている古い木箱があった。なかから旅に出るとき持ち歩いたと思われる、小さな仏具が出てきた。初めて見た。親指ほどの大きさの花立てが二個、万年筆大の飾りの彫ってある黒光りしている燭台が一個、掌に乗る小さな香炉と、これまた小さな小さな如来像がはいっていた。これはまもなく移るマンションの書棚に飾っておこうと思い、燭台を手にとってみた。掌につたわったのは冷たさだけではなかった。このとき私の心にふしぎな感動が涌いてきたのであった。
 いずれも携帯用の小さな仏具で、これら一式を持って、曽祖父は近江へ行ったり、あるいは仕入れに神戸、大阪、横浜などへ徒歩の長旅をしたのだろう。野宿のさい、樹の下でそれら小さな仏具をならべて、先祖の助けを願ったかもしれなかった。
 曽祖父だけでなく、長いこと家をあけるときは使用人も携えたかもしれない。祖父も持ち歩いたろう。何代にも亘って手にしたあとが、この黒光りしている光沢かもしれず、このとき、私は、たった一個の万年筆大の燭台が人間の不安を支えてきたような気持になったのだった。私はいつまでもその燭台を握っていた。それに触れていると、もう死んでいないひとたちを思い出すだけでなく、それに触れた死者の、ものいわぬ心まで伝わってくるような気持にさせられもしたのであった。
 仏壇はまもなく解体されるが、これら小さな仏像や仏具があれば、先祖の霊は迷いながらも新しいマンションを訪ねるだろう。なぜなら、これら小さな小さな仏具は、私の生まれる前の世界に繋がり、私の死後の世界にもつづいてゆく霊のリレーだからである。
     〈黄昏転居記より〉

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