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随筆あれこれ

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深淵


 妻の口癖は、あなたを見送ってからでないと、私は死なれない、であった。七歳で私は右足を失い、以後義足の生活で、そういう夫をおいて先に死ねないと、妻は友人にも語っていたようだった。健康にも気をつけていた。
 その妻が膀胱ガンと診断され、それも検査の結果、進行の早いかなり悪性なものと判り、手術後三ヶ月で死んだ。
 ガンと診断されるまでは健康で私の世話をしていた。私は五年前、前立腺ガンを患い、骨に転移し、モルヒネを一日八十ミリ飲んで痛みを押さえていた。主治医は妻にレントゲン写真を見せて、気をつけて下さいと言った。
 妻は当然、主治医に、主人はどれくらい生きられるんですかと訊いた。
 人間の生死は神さまでないと判らないけど、幸い進行がおそいから、一、二年は大丈夫でしょうと言った。
 その私が生きのびて、妻が死んだ。私には信じられないことだった。死ぬ一日前、大河内昭爾氏が、季刊文科叢書の一冊として本を出すように言ってくれた『神さまはいますか』を手に取って、ようやく出来たのね、永かったわね、とうれしそうな顔をした。おうふう社から直接病院の妻宛に送って来た本だった。勿論担当の相川君に私が頼んで、妻の死に間に合ったのだが、初めて妻が校正を手伝った本だった。そのときは妻はガンでもなく、入院もしていなかった。
 この中の「文鳥」と「神さまはいますか」を妻はとくに気に入っていた。しかしその本をベッドで手にしながら妻は言った。
「神さまなんていないわ。いないこと判っていて求めているのね」
 さらに妻は、もう死期を悟っていたから、神さまがいるのなら、私の命をあなたより先に奪わないわ。私は片足のあなたを最後まで見届けようと思って一緒になったんだから。私が先に死ぬなんて神さまがいない証明よ。この小説に中の、少年少女も、それぞれ神を求めているけど可愛そうだわ。これが妻の最期の言葉だった。
 死者を葬ることは慌ただしいことで、悲しんでもいられなかったが、一週間たつと、私ははじめて事の重大さを知った。
 もう妻はどこにもいないのである。いくら妻を呼んでも妻の声はかえって来ない。その瞬間から、フロイトは「悲哀の仕事」が始まるという。悲哀の仕事とは、意識では妻の死を認めていても、記憶や情念では妻への思慕がたちきれないのである。
 それは深淵という形で現われた。人間が生きられるのは、自分の思いや言葉が、人の心に触れて返って来るからである。何の反応もなく、思いや言葉がもどって来ない状況で人間は生きられるだろうか。今の私には妻との対話も会話もない。毎夜、底の判らない井戸のような深淵に向かって私は妻への思いや言葉を繰り返しているが、ただぽっかりと口を開けた闇に吸い込まれていくだけだった。
 酒が飲めないから酒に逃げることも出来ない。急に広くなった夜の空間に、笑っている妻の写真に、これから私はどうすればいいのか問うしかなかった。
 妻は過去の言葉だけになった。もうそこには身体は存在しない。ガンの痛みをモルヒネで押さえ、目を潤ませながら、ときどきあなたと出会った若い頃のことを考えている。あの頃は楽しかったわね、と妻は言った。
 しかし楽しかったのはほんの束の間で、肉体の欠損者である私には、職はなく、正式な採用もなく、いつも臨時だった。そのために妻は娘を育て、障害者の私のめんどうを見、三十五年間、音楽の教師として働いて来た。その間、私は二度自殺未遂している。いくら精神力で差別と戦い、頑張ってみても、社会の抵抗力は強くただ悲しむしかなかった。一度目は妻に出会う前であり、二度目は妻と結婚し、娘が中学生の時で、私は鬱性の強い神経症を患い、自殺を計った。幸い発見が早かったので死に至らなかったが、予感して学校からかけつけた妻は、親友の医師の力をかりて、その日のうちに私はT病院に入院させられた。
 死の間際、妻は今となれば、そんなことでさえ楽しかったわ、と一雫の涙を流して事切れたのであった。
 これから私はずっと一人で生きねばならぬ。一人ですごす夜は妻といたときよりも三倍も長い。夜が明けるのかもわからない。私は生き甲斐を失った。これからは喜びをわかち合う相手も、悲しみや淋しさを訴えることができる相手もいない。妻は人生や文学の戦友だった。妻がいないこれからの私はすべて一人で始末するしかない。今日は生きのびられたが、明日も私は生きのびられるだろうか。七十四歳の片足の人生は辛い。
 ときどき江藤淳はどうして死んだのだろうと考える。彼は私より若いし、両足もあり、良い仕事もしていたのに……。
(季刊文科25号  2003年11月)


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