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随筆あれこれ

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埴谷さんとの電話


 函館にいて埴谷さんに電話したことはない。大概何かあれば葉書を出すか、あるいは葉書で書ききれない時は封書にする。それも年に一、二度あるかないかだ。それがこの間突然函館から埴谷さんに電話をかけた。声がききたいと思ったからだろうが、もう一つ、十一月か十二月、寒い日になったが上京したら、是非会いに行きたいということを知らせたかったからだろう。  それもこれも、すべては、埴谷雄高、小川国夫往復書簡<終末>の彼方にの、『隠された無限』という本のせいなのである。これは素敵な本だ。とくに第一信の『永生と永死』という埴谷さんの手紙に感動した。私の文学世界が、この第一信ですごく広くなった。読んでいて、共感でき、うれしくもなり、判らなかった文学の本質や、宗教の本質、又宗教と文学の違いが、じつに新しい、魅力的な視点で論じられていた。
 先ず「調書」について語られる。「調書」とは何か。「かつて、私は捕われて捜査官に調べられ、如何に『事実』が『発見、発掘』困難なものかを、目のあたりにまざまざと体験しました」と言い、調書とは、事実の総体ではなく、つまりは「刑法に該当する或る断片の事実」にすぎなく、捜査官、検事、裁判官にとって自分達の都合のいい「魔法の書」であり、かくして「にせの事実」が作り上げられて死刑台の上で絞首刑が執行される。戦後も最近は再審開始で、無実となった死刑囚も何人かいるが、洋の東西を問わず、無実の死刑囚の処刑された数は限りを知らない。
 埴谷雄高は、彼らを「準イエス」と呼び、彼らこそ闇のなかで無限大の形の十字架を背負い、「天なる神の御許に坐ることも」そして又天国も知らないのである。
 「イエス」はパウロという詩人の力で、宗教として現世の蘇り、永生を手にいれたが、調書という「魔法の書」のにせの事実ででっち上げられ、かくして処刑された「準イエス」たちは、その数は無数であり、彼らは結局はドストエフスキーの小説のなかで復元され、「永死」となって、われわれの文学空間のなかで生きる。
 だれがこれほど、明皙に、そしてまた魅力的に、イエスと準イエスを、つまり、宗教と文学とを論じた人物がいるだろうか。しかもこの埴谷さんの「イエス」と「準イエス」は、第八信の「出現と未出現と私」に繋がり、照応する。
 そこでは子宮は闇の宇宙空間に置き換えられ、胎内で受精して出現する者と、受精しながらも、遅れての受精のために、闇の弟たちとして、未出現に終る者がおり、それがつまりは永生を得た「イエス」と、永死に「準イエス」との暗示であり、埴谷さんは未出現ではなく出現者だけれど、作家埴谷雄高は、出現と未出現を考えながら、一冊の書をあみ出そうとする無出現の永劫の夢想者なのである。
 この『隠された無限』という往復書簡集の埴谷さん側から辿りついた結論は、

  自分は自分でない自分になりゆくところの自分である。 

 という命題である。この命題の解釈はそうかんたんにはいかぬ。先へいって『死霊』第九章の中心テーマとなるものと思うが、一応埴谷さんの言葉でいうなら、やがて人間は意識がなくなり、アインシュタインが言ったというように、人間はつまり自分は、粒子の一つになる。意識というものを捨てると、こうして宇宙の一つに片付いてしまうが、それがつまり、自分でない自分になりゆくところの自分である。
 しかしこの宿命はそれだけにとどまらない。命題が証明されるには、文学の場合は数式や解説ではなく、ある決定的なイメージでされなくてはならぬ。それは『死霊』第九章にゆずるとして、人間は皆天使なのだけれど、恋をすると、その時、自分は自分になってゆく自分を生きる、あるいは本当の自分を発見する訳で、その時天使と思っていた自分は、一回限りの、短い人生を生きることを知る。その束の間の恋の人生、そしてそれがやがて終り、終ることを恐れ、かくして又それが終ると、天使になる、死ぬことを忘れた自分はやはりその自分も自分でない自分になりゆくところの自分である。
 「生と存在」という言葉が出てくるが、それは楕円で中心が二つあり、一つは天使の点、もう一つが恋の点。『ベルリン・天使の詩』という映画のなかで、天使が人間の女に恋をし、有限で一回的な世界に生きる。しかし人間は恋をしない時は皆天使で、じつは存在しているのだが、宇宙の一片に組みこまれている。つまり、自分でない自分になっている。その自分が恋をすると、一回きりの生を知り、自分になっていく。しかし又恋の終りがきて、自分は自分でない自分になりゆくところの自分になる。
 アインシュタインは死ぬことで粒子の一つに戻るというが、その姿は、しかし生きているときも、楕円のもう一つの中心点、天使の姿として、この場合は死を忘れているから、やはり無意識の生き方として宇宙の何かの一片として片付いているのではないだろうか。
 そういうことも含めて「自分は自分でない自分になりゆくところの自分である」という意味でもあろうか……。
 ところどころ左顧右眄し、時には異議を唱えたりしている小川国夫氏の手紙の助けをかりて、埴谷さんの明皙だが難解な書簡に触れているうちに、生きているうちに会いに行かなくてはと、本当に唐突に私は午後一時三十分、事務所から電話をしたのである。
 三度コール音がして、受話器がはずれたので、木下ですが、埴谷さんですかと言うと、すかさず、聞き覚えはあるけれど、うちにこもった寝起きの声で、一方的に、シャワーのように、間をおかず埴谷さんの一人舞台のお喋りが始まった。要約するとこうなる。
 もしも私がいなければ勿論私は出ない、家にいても、深く眠っていたら、やはりベルに気付かず私は電話に出ないだろう、丁度、いいところにかかってきた。うとうとしていたがすぐ電話のベルに気がついて受話器をとった、私の朝食兼昼食は、これから、二時頃からはじまる。今は一時半だから、パンとコンビーフとアスパラを買いに、スーパーマーケットというところにこれからいく、丁度いい時だ、そこにもしオイルサーデンがあればそれも買ってこようと思うが、最近は業者も余り儲からぬのか、あったりなかったり。女房がいないので、自分で何もかもやるが、夜は隣りのもう何年も、私は昭和九年ここに越してきたのだが、同じくらいに越してきた家があって、親戚付き合いをしているので、夜はそこのお嫁さんが(?)夜のおかずを作って持ってきてくれる……
 途中で私は不安になった。はたして埴谷さんは電話の相手が誰か本当に知っているのだろうか。眠りのなかにいてふと電話のベルの音をきき、反射的に受話器を耳に当て、その夢の続きのつもりで、夢のなかの何者かに一方的にシャワーのように隙間なく、一日の始まりの様子を喋っているのではないだろうか。それで私は途中から、もう一度、函館の木下ですがと言った。すると、判ってます。井上君の「辺境」で君の書いたものを読んでいますと言った。 
 「ご存知と思いますけれど、今度井上さんと、『兄弟』という雑誌を一緒にやるんです」
 「知ってます。ぼくは『近代文学』を毎月出していた。『兄弟』はコウタリーだから、その点薬だ……」
 「雑誌の良し悪しはいい小説があるかどうかですね……」
 「それと、質のいい評論があるかどうかだが、どちらもいいものはなかなかない。忍耐がいる。いいものをじっと待つ忍耐が。ぼくは毎月だったから、いつもうんざりしていついいものがみつかるかと思っていた。ずっと待って、辻邦生の『回廊にて』に出会って、あの時はうれしかった、忍耐ですよ」
 じつは私は『隠された無限』について自分なりの感想を言おうとしていたのだが、そのチャンスがなかなかみつからなかった。それに考えてみると、そんなことは長距離電話で言うようなことではない。喋りだせば互いに時間がかかって、真昼間だから、電話代もかさむ。そのうち手紙でも出そうと思い、『隠された無限』の方は諦めた。しかし「辺境」の小説は読んでくれたといったから、「海燕」十月号の『人形』は暇があったら是非読んで欲しいと言いたかったがそれも言いそびれ、上京したら訪ねますというと、電話を下さいという。
 折角、訪ねて来ていなければ悪いからということで、さらに埴谷さんは、この十一月十日はおりません、島尾敏雄の集まりがあって、献盃することになっています。長生きするもんじゃないです。義理がたくさん出来て、雑文や、短い文章をつき合わされる。本当は、どこへも出掛けないで、じっと家にいた方がいいんですけどね。長生きはだめですね。早く死んだ方がいいのかもしれない。

   ……以上で埴谷さんの電話は終るのだが、初めて埴谷さんを吉祥寺のお宅へ訪ねた時のことが思い出された。開口一番、埴谷さんは、フローベルがモーパッサンに、こういったんですが、一つの動作を表現するのに、動詞は一つしかない、一つのものを形容するのに、形容詞は一つしかない、そういう適確な言葉が見つかるまで物を書いちゃいけないと。
 家へ上ってソファに坐るか坐らないかの瞬間であったから私はびっくりしたが、電話のシャワーの言葉もそれに似ているが、しかしそれよりも、その頃からすでに、埴谷さんの頭のなかには、あの頃は埴谷さんも大変若く、なにしろ三十五、六年も前で、『死霊』は第三章くらいまでしか書いていない時であったが、今回の『隠された無限』のなかの最終便、
第九信の『無出現者の永劫夢』の考え方が出来上がっていたようであった。
 かつて私にもすべて言葉だといった訳であり、『隠された無限』のなかでは、今度は小川国夫氏にむかって、「一冊の書」が、天地は過ぎん、されど我が言葉は過ぎさるべしになるか、或いは我が言葉もまた過ぎゆくものになるかどうかは、「貴方(小川氏)も、私、も含めたところの私達すべてつまり、夢をみ、想像し、考え、言葉を発する私達すべての言葉の扱い方如何にかかっています」と、深い型にはなっているが、あの時と同じことを言っているのである。
(タウン誌「街」1988年12月 No.319)


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