随筆あれこれ

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そば屋での光景


 飽食の時代といわれて市場に山海の珍味がふんだんに並べられていても、最後に辿りつくところは、天ぷらそばである。これは寒い冬がもっともうまい。先にそばを食べる。そして最後に、汁の上に浮いているエビの天ぷらを楽しむ。酒呑みにいわせると、そばを食べた後、汁の上に浮いているエビ天を日本酒で食べるのが最高という。私はまだそんなふうにして食べたことはないが、私の究極の食べ物となれば、やはり天ぷらそばということになるだろう。
 私は時折り駅前の丸南本店(函館)へいく。ある日、そこで一人の中年男性がビールを呑んでいた。最初はビールに付いてきた付き出しでビールを呑んでいたが、串揚げのトンカツが皿の上に、二つ並べられて運ばれてくると、その中年の男は、トンカツの上にソースをかけ、いかにも馴れた手つきで、口へもっていき、楽しそうに食べ始めた。そして舌なめずりしながら、空のコップにビールをついで、それをぐいっと呑んだ。熱い揚げたてのトンカツと冷たいビール、夏は、これが一番だという顔で、彼はビールとトンカツを交互に楽しんでいたのである。しかもときどき手を休めると、今度は莨(たばこ)を喫った。そして、あたりを見廻したり、物思いに耽ったりした後、また熱いトンカツを食べ、冷たいビールを呑んだ。
 その堂に入っている光景を見ながら、この見知らぬ中年の紳士の究極の食べ物というのは、暑い夏、たんに冷えたビールを呑むことではなく、丸南本店の熱い串カツ、ここでないと彼の満足がいかぬ、その串カツを食べながら冷えたビールを呑むことらしかった。
 最近は食べ物屋に這入っても、いかにもうまそうに堂に入った姿で、物を食べている人を見かけなくなった。どうしてだろう。私は久しぶりに、昼下がりの丸南本店で、自分の気にいった物が何であるかよく解っていて、週に一度か、二度、その本当に自分の好物を楽しみながら味わっている中年紳士を見た。うまそうに、そして、一つの型を持って自分の好物を食べている姿ほど美しいものはなかった。殆ど私は見惚れていた。 
 私はといえばその日暑かったので、ざるそばを取った。ざるに上った端々しいそばを割箸でつまんで、汁にいれ、さっと口へもっていく。このタイミング、何ともいえぬ。口のなかで、そばの舌ざわり、歯ざわりを楽しみながら食べる夏のざるそばも大変うまかった。しかしその食べる姿はどうだったか解らない。
(タウン誌「街」 1992年9月 No.361)


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