随筆あれこれ

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一里塚(2)

 三十年近く住んだ家を処分してマンションへ移ることにしたのは、地主と争いたくないからであった。定年を五年残して退職した年、とつぜん妻は大工をつれてきて、居間と台所と風呂場を直したいが見積もってくれといった。五百万くらいかかると大工はいった。建増しするわけでないので、地主にあらかじめ何もことわらずともいいと思って妻は工事を始めるように頼み、隣近所や地主に、少しうるさくなるけれど宜しく頼みますといった。
 次の日、地主がとんできて、契約時から三十年以上土地はかさぬ、三十年たったら土地をあけ渡すと一筆書いてもらう、と言いにきた。あと十年あった。そのときはそのときと、私もかんたんに考えて、その書類に判を押した。しかし十年はすぐに経ってしまった。弁護士に相談した。住みたいなら争うしかないという。地主はすぐ向かいである。毎日顔を合わせているので裁判沙汰にしたくなかった。約束通り移ることにした。ただ一つ話が複雑になるのがいやで、家屋の始末の費用は地主側にもってもらうように弁護士に頼んだ。
 ある日妻は、わたしはなんて莫迦なんだろうといった。あの時、五百万もかけるくらいなら、そのときどこかに家を借りたほうがよかったといった。まだ家は十年も二十年も住めた。昔の家で、檜と杉で造ってあった。湯殿は特別に選んだ青と白のタイル張りで、壊すのは本当に惜しいと思った。居間のフローリングも、知り合いだった大工は特別なものをつかってくれたので、これを見たひとが、自分のところの居間のフローリングと取り替えたいといった。
 結婚して四十年経つから、がらくたもあるが捨てがたい物もあった。私で四代目の、いくら祖父の時代、父の時代に何度か倒産したとはいえ、家紋のはいった重箱、黒塗りのお膳、掛軸、それに曾祖父が全盛時代江戸の職人に誂えさせたという螺鈿のはいった江戸仏壇とか仏具一式とかを数えると、大変な荷物だった。これらも処分せねばならなかった。
 今思うと憑かれたひとのように闇雲に捨てる物と捨てない物とを分けていた毎日だった。私も妻も六十五を越えているから、重い物は持てない。事務所の二人の女性がいなかったら、引っ越しも、荷物の処分もできなかったろう。
 あらかた物が片付き、何もない部屋が次々素顔を出すと、こんなにも広い、大きな家に住んでいたのかと、いまさらのように驚いたりした。私が仕事部屋に使っていた奥座敷は幅四尺の廊下が鉤の手になっており、書棚も片付いて何もないから、襖をあけておくと、広々としていた。片方は縁側である。そこから通じる庭には思い出がある。猫である。猫の一家が縁の下に住み、庭を遊び場所に使っていた。その猫の生態や猫との生活は次回に書こうと思うが、庭の真んなかにある大きなイチイのしたで、よく猫が数匹日差しをさけてまるくうずくまっていた。
 父は十年まえ、この奥座敷で息を引き取ったが、寒い十二月の初旬で、庭には雪が積もっていた。死ぬ数日まえに、幹と枝だけの柾木や紅葉や雪を被って白くなったイチイを眺めて、自分にはもう春は来ないといったという。この家を買ったとき、庭には梨の木とイチイと松があった。青と赤の紅葉とつつじはあとで買ったものである。移ることが決まったので、知っている庭師を呼んで、売れる樹があるか訊いてみると、今は、庭をつぶして車庫にする時代で、せいぜい売れても赤いしだれ紅葉くらいだろうといった。それなら欲しいひとにくれたほうがいいと思って、世話になっていた隣のひとにもらってもらうことにした。

 狭いマンションにはそこに相応しい書棚や机やベッドをあらかじめ買っておいて家具屋から運んでもらっていた。妻もすべて間取りに相応しいコンパクトなものがよいといって、食卓も二人用のものを買い、サイドボードも背のあまり高くないものにした。いつでも移れたが、地主が家を壊しやすいように、残った荷物はいっさい引っ越し屋を呼んで捨ててから移ることにした。
 最後に仏壇がのこった。仏壇を持っていってもらったあとの掃除のために事務所の女性が来てくれた。仏壇を取りに男二人が来た。一人は仏具を焚上げする会社の社員で、彼は白いワイシャツに黒いネクタイ、黒のスーツといった葬儀の恰好をしていた。もう一人は作業服を着たひとで、二人は先ず仏壇から出した仏具や戸袋から出しておいた仏事に関するいっさいの道具を車に運んだ。仏壇を二人がかりで座敷の中央に出すと、担いでも扉が開かないようにロープをかけた。仏壇が床の間の横に納まっていたときは気付かなかったが、座敷に引きだされたその全体像が一目で見てとれると、思ったよりも大きく、なかに何もはいっていないのに、大の男二人で持とうとしても持ち上がらなかった。男たちはよろめき、下敷きになりそうになり、あわてて妻と事務所の若い女性が手をかした。
 「きっと、このなかにいっぱい霊がはいっていて、それが重いのね」と妻はいった。喪服の男も苦笑しながら、「思ったより、重いですね」と呟いた。
 仏壇は、奥座敷から廊下を通り窓からその下に待機している大型の車に無事納まった。これで家のなかから何もかも姿を消した。柱や障子や襖しかない部屋を眺めながら、引っ越しもまた死に似ていると思った。昨日までここで私は、床の間の仏壇を背に、本を読んだり、原稿を書いていたのである。いつも仕事は深夜に及んだ。寝るまえに妻は、先に休むといって、煎茶と干菓子とを載せたお盆を置いていった。そこは畳に絨毯を敷き、冬は電気こたつに、反射式の石油ストーブを使っていた。仏壇を運ぶまえに既にそれらは片付けられており、日焼けした畳の上を仏壇が運ばれていくと、残ったものは、そのまま壊すことになっている障子と襖だけで、それも今ははずされて、庭の隅に片付けられていた。柱と側だけのなんの個性もない空間がそこにある。ぼんやりと、その畳に坐ってあたりを見廻していると、仏壇をのせた車は霊柩車のように遠ざかっていった。(了)
     〈黄昏転居記より〉

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