娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


タウン誌「街」でたどる函館(2)

 7月18日から24日までの一週間、函館のまちづくりセンターで開かれたタウン誌の展示会は無事終わることができ、たくさんの方に見ていただくことができた。私は三日間、函館に行き展示の準備と18日のオープニングの朗読会で父のエッセイを読み、少しだけお手伝いさせてもらった。
 初めて、523冊のタウン誌をこの目で見て、実際に手に取り、数の多さをあらためて感じた。今から四年前、父は亡くなる半年前まで一度も休刊することなく43年間、このタウン誌を発行し続けてきた。その数、510冊。段ボール箱に詰められたタウン誌を一冊ずつ取り出し昭和37年の創刊号から順番に展示台の上に並べていった。昔は写植文字で色が少し変わった紙と古くさい匂い、今はもう無くなったお店の広告、文章と写真などからその時代の服装や女性の流行の髪形などがわかり、父がどれだけ長い間タウン誌の編集と発行のために情熱を注いできたかがわかった。
あまりの多さに全てに目を通すことができなかったが、1971年発行の101号の中に父の書いた文章で興味深い随筆を見つけた。「太陽の死」という三島由紀夫のことを書いたものだった。私が小学校六年生のとき、三島由紀夫は市ヶ谷で割腹自殺したがその時の父の心境が綴られていた。この日のことは、よく覚えている。父が書斎から出てこなかった。私はたった一人で不安になりながら、茶の間で母の帰りを待っていた。父に何か大変なことが起きたようで心配でたまらなかった。あれから40年近く経って、父の想いを知り、「こんなこともあったのか」などと思いながら父の昔の文章を読んでみた。
 18日のオープニングでは函館朗読奉仕会の方たちが「声でお届けするタウン誌」ということで創刊号から452号まで中から抜粋したエッセイや詩などを朗読してくださった。声で耳から聴くのも実にいいものだった。郷土史家の近江幸雄先生のお話も大変おもしろく、とくに父との思い出は私の心にジンとくるものがあった。
 父が取材のためによくつかっていた喫茶店のママさんが当時の父の写真を会場に持ってきてくださった。たばこを銜えた父はとても若く、たぶん昭和40年ごろの写真だと思う。背中を向けていた人は誰かわからないが父の笑っている顔と、それをずっと陰で支えてきた母の姿が重なり胸がいっぱいになった。
 今回、この展示会をやって本当に良かったと思っている。たくさんの人に見ていただけたこと、そして懐かしい話で盛り上がることができたことは私がこれからもこのホームページを更新していくための大きな力になった。
 父は、510号で休刊したとき、「何年かしたら、街に文章を書いてくれた人たちと同窓会のようなことをやってみたいな……」と言っていた。その望みは叶うことなく逝ってしまったので、今度は私が父の代わりをしたいと思った。
 一部ですが展示会で写してきた過去のタウン誌の表紙を紹介したい、と思います。

タウン誌 街-1

タウン誌 街-2

タウン誌 街-3

タウン誌 街-4



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