娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


ドナルド・キーン先生からの葉書

 「暑い、暑い」と言っていたがすっかり朝晩は涼しくなってしまった。今年の夏はタウン誌「街」の50年誌制作のために特別な時間を送ることになるだろうと思っていたがあまり変わらなかった。このままでは駄目だと自分に言いきかせているところである。
 八月初め、大変嬉しいことがあった。それはドナルド・キーン先生から絵葉書を頂いたことだ。七月、私は幸運なことに札幌大学で行われたキーン先生の講演会に参加することができた。往復はがきで申し込み、当選のお知らせを頂くとそこには1300人以上の応募があったことが書かれていた。
 私が初めてキーン先生の名前を知ったのは今から四十年程前のこと、父の書斎にあったキーン先生からの封書を見て、父に外国人の知り合いがいるのだという程度だった。日航の雑誌の取材で函館を訪問したキーン先生を当時、父と北海道教育大学の安東先生のふたりで案内したことを知ったのは、それからしばらくしてからだった。父とキーン先生との文通は長い間続いていたようだった。そんなこともあってどうしても私もキーン先生のお話を聞いてみたいと思っていた。そしてできれば直接、質問の時間などがあればお話したいと思ったがそれは叶わぬことだった。講演会の前日、札幌大学の事務局の方に問い合わせると一般の方からの質問は時間がないので無理だといわれてしまったが、父のことを話しタウン誌「街」を渡したいと伝えると、事務局の方が預かってキーン先生に渡してくださることになった。生前、父がキーン先生にタウン誌「街」を送っていた事を知っていたので、今年50年を迎えた「街」をどうしても先生に読んでいただきたいと思ったのである。私はキーン先生に手紙を書いた。何度も下書きをし、緊張しながら、日本の夏を感じさせる便箋に丁寧に書いた。まず、私の自己紹介から始まり、父のこと、タウン誌の50年誌のこと、そして今年の新春号で安東先生が書いたキーン先生との思い出のエッセイのことなど順序立てて書くのに苦労した。二週間後、キーン先生からお返事を頂き、私は嬉しくて仏壇の父に報告し、忙しいなか私にまで返事を書いてくださったキーン先生の心遣いに感動していた。先生は「昨年から有名になってしまい、勉強する時間がなくなって大変です」と書いておられ、いくつになられても勉強という姿勢にあらためて頭の下がる思いで、はがきを読んでいた。この夏、もっと頑張らなくてはならなかった私はオリンピックを見て寝不足だとか言い訳し、なにも勉強しなかったことを反省している。父も文章を書かない日は一日もなかった。そしていつも本を読んでいた。
 読まなければならない本や資料を山積みしているだけで、私の今年の夏はあっという間に過ぎ去ろうとしている。父の写真とキーン先生のはがきを机の前に並べて、この「娘のつぶやき」を書いている。アップしたら、さっそく50年誌の作業にとりかかることにしよう。キーン先生はきっと今晩も書斎で勉強されていることだろう。




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