娘のつぶやき |
トップページ ◆『天使の微笑み』
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10月1日、私のところにタウン誌「街」536号がいつものメール便で届いた。父が亡くなったあと、一年後に復刊し季刊誌として発行してきたタウン誌「街」。父が生きていたときと同じように札幌に住む私のところに毎回、郵送されてきていた。今回は最終号ということで、このメール便はもう届かないのだ。父が2005年2月に休刊したときとは全く違う気持ちである。あのときは父の身体のことだけが心配だった。癌だった父の病状は悪化し、モルヒネを投与し痛みをおさえながら雑誌作りをしていた。43年間、510号まで続けた「街」を休刊させたとき、私はホッとした気持ちになった。しかし今回は違う。淋しいと最初に思った。もう父に会えないと思った。 もう父に会えないという言い方はおかしいかもしれない。父が亡くなって七年が経ったが、私はこのタウン誌のおかげでたくさんの父の文章に触れることができ、離れて暮らしていた三十年近い時間をパズルのように少しずつ埋めていっていた。一人娘を札幌の大学に出したときの父と母の淋しさや、卒業後函館に戻らず札幌で就職、結婚をしたときの両親のいろんな想いを私はこのタウン誌から教えてもらった。多少のことは当時わかっていたつもりだったが、そのときの様子が文章で残っていると、これはなかなか堪えるものだった。私は墓参りとタウン誌「街」の編集室に足を運ぶことで癒され、ずっと父のもとで編集に携わっていたIさんとKさんと話をしていると父と母と一緒だったときの時間が甦って来るのだった。「街」の編集室がなくなるということは、私にとって実家がなくなることと同じものなのだ。 510号のまま終刊していれば私はこういうことに何も気づかず、父の文章をちゃんと読むこともなく、もしかするとこのホームページもなかったかもしれない。父を慕ってくれた人たちによって復刊し50年という歳月を迎えることができたから、いい形で幕をおろすことが出来たのだろう。今、私は父が函館という街でどんな想いで雑誌作りをしてきたのかをかみしめながら、50年誌を作るお手伝いをしている。当初の予定より作業が少し遅れているが、A4判変形サイズ、288頁の記念誌が出来上がるのでぜひ皆さんに見ていただきたいと思っている。 「そのまちに人がどのように生まれ、働き、愛し合い、死んでいくのか、それを詰め込むものこそがタウン誌だ」。父木下順一の言葉である。 |