朝の食卓

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父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


本屋さん


 秋の夜長は読書に最適な季節だが、私は子どもの頃から本を読むのが嫌いだった。しかし本屋さんに行くのは好きで、私にとって居心地のいい場所だった。18歳まで住んでいた函館に当時、森文化堂という老舗書店があった。函館市民に親しまれ「森文」と呼ばれていた。
 函館でタウン誌の発行をしていた父は、ほとんど毎日、この書店に足を運んでいた。わが家にも定期購読していた雑誌や全集本などが森文から届いていた。配達のおじさんは、小学生だった私にも丁寧にあいさつをしてくれ、いつも白いワイシャツをきちんと着ていた。
 高校生になって学区外へ出掛けてもいいと両親の許しがでて、私がひとりで出かけた場所が「森文」だった。少し大人になった気がしてうれしくて、天井近くまで続く本棚を眺めていた。本嫌いの私も文学少女のふりをして、外国文学の棚の前に立っていた。その時、店員さんの声がして振り向くと父が店に入ってきた。家で全く本を読まない私は、この場所で父に会ってはいけない気がして隠れてしまった。
 森文が閉店したのは12年前の話だ。函館に帰って市電に乗ると、松風町電停近くに4階建のビルが見えてくるが、看板は当時のまま今も残っている。高校生の頃、市電の窓から、店の前を歩いている父の姿を何度も見かけた。
 函館駅前の街並みが変わっても、この書店の前だけは私にとって昭和のままだった。
(2016年10月9日 北海道新聞全道版)


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