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ハムレット異聞

 志賀直哉に「クローディアスの日記」という小説がある。クローディアスの立場から、ハムレットを弾劾している作である。
 ハムレットの父を殺害したというが、クローディアスは、いったい何が根拠で、わたしが兄を殺したというのだ。宮廷で、王を殺害することはかんたんにいくものか。わたしが兄を殺したというなら、目撃者を出せ、というのが、クローディアスの怒りなのである。
 クローディアスは、人をぐうの音もいわせぬ証拠も出せぬハムレットごとき人物に、どんな統治能力があるのかという不信感ももっている。
 「クローディアスの日記」は志賀の解釈だが結構たのしめ、いずれ私も「オフィーリヤの日記」なるものを書いてみたいと思っている。
 先日、映画「ハムレット」の前ぶれの座談会をやった。その座談会は今月号に載っているが、それと抵触せぬように、ここに私なりのハムレットを書いてみたい。
 この芝居は二つにわかれている。一つは、ハムレットの迷いである。その迷いというのは、叔父クローディアスが父を殺したという噂があるが、犯人を叔父としたときの、父が死んでまもなく叔父の妻になった母の存在である。もう一つは復讐の行動である。
 母ガートルードにたいして三つのケースが考えられる。一つは、母も父殺しの共犯者であろうかであり、二つめは、父殺しの首謀者は叔父ではなくひょっとして母であろうかという疑い、三つめは、叔父が夫を殺したとは夢にも思わず、幸福な結婚生活を送ってきた女は夫を失うと淋しくてすぐ別な相手をみつけるように、母もまた叔父の妻になったのだろうかである。
 三つめとすれば、ハムレットはオフィーリヤに「弱きもの、汝の名は女なり」と毒ついたが、本来なら母に吐くべきセリフで、オフィーリヤは母の身代わりになったようなものだ。
 マザーコンプレックスのハムレットは、そういう毒のある言葉は、恋人オフィーリヤに吐けても、母には言えない。男から見てもその軟弱ぶりは困るが、こういう男がいるかぎり、嫁姑戦争は終わらない。
 ところで母ガートルードが叔父と共謀したか、むしろ母の方が夫殺しを叔父にそそのかしたとすると、ハムレットは、母と叔父のふたりに復讐すべきだろう。そうしなければデンマークの法はあってなきものだ。
 法律学者で文芸批評家であるカール・シュミットは、すでに当時デンマークには王を決める選挙制度があって、それは今の選挙とは違うが、勝手に王になれるものではないといっている。ハムレットは、父を殺されただけでなく、父から譲られる王位をも奪われたのであり、奪ったのが叔父と共謀した母であればなおのこと、復讐しなければ王位権、つまりデンマークの法は維持できなくなるという。
 しかしまたカール・シュミットは、文芸的に「ハムレット」を見ている。ハムレットがことの真相をあいまいにしているのは、その性格のせいでもあり、それ故にこの芝居は、問題が次々増幅して、複雑な悲劇になっているともいう。
 たしかに古代ギリシヤの悲劇のように、真相が明るみに出ないのは、この「ハムレット」はハムレットという人間の性格劇でもあるからだ。
 ここから私のハムレット異聞が始まるのだが、この「ハムレット」という芝居は、現代にも通用すると思った。小渕内閣だ。
 ハムレットは父殺しは誰か、その真相究明をあいまいにしている。小渕内閣は、宮澤大蔵大臣をはじめとして、長銀が債務超過かどうか、真相をあきらかにしないで税金で助けようとしている。
古代ギリシヤの時代、真相は明らかにさせられ、民衆のまえにすべてさらけだされた。それが近代になると、すべての真相は闇のなかに葬られる。
 この差異はどこからくるか。
 古代ギリシヤにはまだ法がなかった。法を作ろうという神話時代で、そのためには人間の問題、愛、嫉妬、結婚、友情、背信、殺人というものがすべて明るみに出て、一つ一つ検討される必要があった。しかし、「ハムレット」の芝居に書かれた時代はすでに法制度が出来ていた。そうなると法制度は権力者の手にゆだねられ、真相を隠すという逆作用に使われる。
 シェイクスピアはデンマークの小史を下敷に、じつはエリザベス時代の、メアリ・ステュワートを書いたものだ。メアリは夫を殺して弟と結婚した。その殺された夫とメアリの間にできた息子ジェイムズで、これがハムレットにあたる。だからこれは遠いデンマークの話ではなく、イギリスの現実を書いたものである。
 なぜジェイムズ王子は、真相をあかるみに出せないか。その経緯をシェイクスピアは、デンマーク王子の伝説をかりて書いてみせたのが「ハムレット」で、一度法が権力者の手に握られると、その真相を明かすのに、精神病者のように振るまわねばならないのである。
 それでも真相は明らかにならない。長銀を公金を使って救う真相も決して明るみにでることはないだろう。
 (1988年9月、タウン誌「街」No.433)

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