朝の食卓

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◇北海道新聞
朝刊コラム
「朝の食卓」


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父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


母の遺品


 子ども部屋をリフォームして夫の書斎にすることになった。息子たちが家を出てから、何年も納戸のようになっていて、古いアルバムや小学校時代の作文や絵が段ボール箱に入ったままだった。捨てることができず取っておきたいと思っていたのは、私自身なのだ。これを機会に箱一つ分にまとめるための仕分けを始めた。
 函館の実家を処分した時も、捨てられず持ってきた物が子ども部屋にうもれていた。母に死なれた直後は、母が書いた文字を見るだけで悲しくなった。今回、これらも整理することにした。踏ん切りがつかなくて、14年間そのままにしていた箱の中には、母の手帳や書の他に、生後10日目の私の寝顔を描いたスケッチブックがあった。
 教師だった母は、退職してからも手帳に細かく日々の様子を記していた。私を産んで1カ月で職場復帰し、女性にとって厳しい時代の中、36年間勤め上げた母をずっと強い女性だと思っていた。
 ところが手帳の中の学校や家のことを書いた短歌を読んで、母の弱さや悲しみを初めて知った。口癖は、祖母を見送り、片足の父を見送り、最後に自分が全てを片付けてから死ぬのだと話していた。しかし、体調を崩し、検査入院して3カ月で亡くなり、順番は逆になった。家に戻るつもりで、手帳には入院した翌月までの予定が書きこんであった。
 片付けをしながら、再び母と会えたような気がした。明後日は、母が三日三晩苦しんで私を産んでくれた日である。
(2016年12月24日 北海道新聞全道版)


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