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朝の食卓

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父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


タウン誌「街」


 函館のタウン誌「街」は50年続き、3年前の秋に終刊した。総目録を作る話から、タウン誌の中身をひもとき、面白さを伝えたいという話に発展して「わが街 はこだてタウン誌50年」が2年前の夏に完成した。
 1962年2月に創刊、「函館百点」「月刊はこだて」タウン誌「街」と誌名を変えた。父は5号から編集長となり、43年間休刊せずに編集発行してきた。タウン誌と関わりのなかった私が50年誌制作のメンバーに加わり、札幌と函館を往復した。最初は50年分536冊のバックナンバーに目を通す作業から始まった。大学ノートに発行年月、表紙絵、函館の街の出来事、郷土史や小説の執筆者、広告を書きとめた。「このたび電話がつきました……」という編集後記に思わず笑った。当時は呼び出し電話でも仕事ができたのだ。
 1969年の座談会「青函トンネルと函館」、北洋漁業の船団など昭和という時代を感じさせる写真や文章があふれていた。何度も作業の手が止まり、その時代の中に引きこまれた。1985年1月号を開いた時に父のエッセイ「嫁ぐ日」が目に入った。私のことが書いてあった。初めて読み、涙がこぼれた。
 父が編集の柱としていた「そのまちで人がどのように生まれ、働き、愛し合い、死んでいくのか、それを詰め込むものがタウン誌だ」。この言葉は今も私の耳から離れない。
(2015年7月1日 北海道新聞全道版)


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