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三島由紀夫

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三島由紀夫の謎

 謎のない作家はいない。芥川にせよ太宰にせよ謎はある。作家だけではない。自殺した身近な人間を考えてみても、自殺の理由やその人間の生前の生きざまが何もかも明瞭ということはない。しかし、私がここでいう謎とはそういうことではない。そういう謎なら三島由紀夫には何もないともいえる。ともかく三島の自決は犯人捜査のむずかしい事件のように、余りにも手掛りや証拠が揃いすぎてそれ故の謎である。
 三島由紀夫が自決したのは昭和四十五年だからもうかれこれ二十数年経つ。自決後彼について何か書きたいと思ってきたが、自決から始めないとやはり一行も先へ進めず、それでのびのびになっていた。それがたまさか小林秀雄の『正宗白鳥の作について』を読んで、そうだ、こういうふうに気楽にやればいいと示唆され、小林秀雄を真似ることにした。
 小林秀雄が『本居宣長』を書いたとき、彼が宣長の何を書こうとしたのか十分判らなかったが、今度『正宗白鳥の作について』を読んで晩年の小林秀雄の心を捉えていたものが何であったかはっきりした。信仰と無意識の問題である。言葉が意識の領域にのみ属するなら何ほどのこともあるまい。そうであるなら非理性的なものの解明なぞ最初から不可能なことであって、信仰も文学も成り立たない。小林が秋成より宣長が気になるのは言葉の問題で、言葉は言霊であるからである。
 『本居宣長補記』の中で小林は、自分が宣長を書くにあたって、「哲学の文章」ということを考えたという。その参考文献がプラトン『パイドロス』というのは、じつに示唆にとんでいる。プラトンは、『パイドロス』の中で、神が与えたマニア=霊魂が世の中で一番いいものをつくるのだといって、マニアを四つの類型に分けている。一つは、アポロン的な予言の力を生みだすもの。二つめは、デ二ソス的なものを生みだすもの。三つめが、詩を生みだすもの。四つめが、エロスに宿るマニアで、この四番目のエロスとは恋である。恋するというのはまさに狂そのもので、理性的に恋することはない。これこそ非理性の世界で、プラトンの場合は、エロスが次第に高まって遂にイデアを見る力としてマニア、狂を考えている。
 小林秀雄も狂を避けて何が判るだろうといってるのであって、言葉と狂の先にあるもの、狂と同じ位置にあるもので、ときには言葉は沈黙の姿をとっているというのである。
 『正宗白鳥の作について』は未完に終わったが、白鳥の作とありながら、白鳥のもので取り挙げているのは、『文壇的自叙伝』と『自然主義文学盛衰』の二冊で、話はもっぱら内村鑑三、河上徹太郎、ストレイチ、エリザベス、フロイト、ユングに集まり、『本居宣長』でやったことを今度は、正宗白鳥でやろうとしている。白鳥の信仰の問題、無意識の問題である。
 永いこと私もフロイトを読んできた。私がフロイトから学んだものも、意識は無意識の噴き出たもの、余饒にすぎぬという古典的な解釈である。もともと人間は動物と同じ本能で生きていた。本能というものは永遠不変な生活様式のことだが、人間は、その本能を壊した。丁度それは活火山が爆発したようなもので、無意識が意識を噴き出したのである。それ以来人間は不安になったが、その本能破壊の張本人というか、原因は性欲というものだろう。だから性欲は信仰にとって政敵になる。
 小林秀雄が『正宗白鳥の作について』のなかで語っているフロイト論は、天才の著作者を読むということはどういうことかという点で教えられることが多い。じつに個性的な読み方をしている。以前に河上徹太郎の『日本のアウトサイダー』を論じた際の、フロイトの『自伝』に触れて述べた文章をもう一度引用して、こういっている。
「意識と呼ばれているものは、無意識と呼ばれていい心的実在に、後から附け加えたり、附け加わらなかったりすることが出来るものに過ぎない。このフロイトの画期的な心理学上の発想は、周囲の心理学者等の思いも及ばぬフロイト自身の体験と離す事は出来ない。彼の心の世界が、物質の世界と同様に確乎たる実在である事を、身を以って会得していた。微量の毒物が人を殺すように、ささやかな観念が人を発狂させるが、その言語表現の起源が、物的エネルギイの起源同様に暗い事を思わざるを得なかったのである。私の心は、私の自由になるような、私の見透しが利くような生易しい実在ではない。私は、私の心という名附けようもない重荷を背負わされているのだ……」

 三島由紀夫にとっても、自分の心が自由になるような、見透しが利く生易しいものであったはずはない。私は、三島が自決した前後、ノイロウゼに苦しんでいた。ノイロウゼというのは今まで心の動きはすべてコントロオルできていたという人間の思い上がりを、根底からゆさぶる病気のことである。常に、私は何をしでかすか判らないといった不安の擒になり、まだいかなる罪も犯していないのに、もう罪を犯した囚人のような気持で、牢獄ならぬ病院へ入院した。いかに三島が明晰に言語を駆使して一つの文学作品を作ろうが、
その背後にどんな混沌とした闇が控えているか解らないのである。
 三島自身も、自分の感受性にとんだ「気質」を敵と見て、その克服が作品を書くことであり、こうして「気質」は一個の思想になり、作品が完成することで、その思想も死に、そしてまた根治不能な「気質」が甦り、また作品を書く、というふうに言っているのである。
「気質」も心のなかに含まれ、この心の実在が生易しいものでないことをさらにはっきり自覚したのは、文武両道ということをしきりにいいだした頃からだろう。これこそ「微量な毒物」で、矛盾したことを知っていて言っているのである。一人の人間が文武両道で生きられるはずはない。どちらかを選ばねばなるまい。三島由紀夫の言動からいうなら、自然死はしない。武士として死ぬということだろう。そして、結果的にはそうなったが、彼の自決は表にだけ出た彼の言葉で十分に説明されているというふうにはいえないのである。小林の「微量な毒物が人を殺すように、ささやかな観念が人を発狂させる……」というのは何も精神病患者に限ったことではなく、観念自体が狂の姿で、私は三島由紀夫さえ自覚できなかった、あるいは故意に隠したかもしれない彼の小暗い心の領域を問題にしたいのである。
 それにしても表に出ない言葉以外の言葉はないのだから、いくら小暗い心の領域といっても彼が駆使した言葉を辿るしかないのである。言葉を言霊といっただけで言葉の正体は判らない。小林秀雄は、言語表現の起源は闇からのもの、といったが、これはこういうことだろう。意識は無意識からの噴出とするなら、言葉も同じ図式だろう。言葉になったということは意識になったということで、言葉も意識も同じことであり、言葉もそれ以前の闇の世界、無意識の世界を持っているのである。そして、言葉と言葉以外の世界とが繋がっているのである。表に出た言葉とは、三島の場合は、「気質」が一個の思想になったことで、その一個の思想を分析して、小暗い「気質」、つまり心を垣間見るにはどうするかということで、それは冒とくのようなものだから、むずかしいのである。
 『文化防衛論』が出たとき、橋川文三はその欠点を逸早くついたが、欠点は欠点として、あるいは欠点が顕著であるが故に、私は三島に憧れているものが何か、はっきり見えたという記憶が残っている。それは誰もが指摘した美的テロリストである。すでに十代で三島は、『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』を書き、根治不可能な死の傾向性を暗示している。そしてその方向が具体的になったのが、この『文化防衛論』である。
 このなかには三島独自の面白い発言もある。日本文化の特色として彼は木が主体であることを挙げ、そのために物への固執は稀薄であるという。いわゆる木への文化は消失を意味し、そこに日本人の独特な行動様式が据えられているのである。物に固執しないというのは、オリジナルとコピイの間に、決定的な価値の落差がないことになる。それを三島由紀夫は、伊勢神宮の式年造営で証明してみせたが、それじゃ彼がいう文化天皇論には何も危険がないかといえば、どうもそうはいかない。物に固執しないだけに、その文化天皇はいつ政治的天皇に変るか判らないからである。
 今回あらためて『文化防衛論』を読んでみたが、この政治論文についての私の印象は以前と何も変っていない。これは三島にとっての『葉隠』である。『葉隠』は泰平の世の中での武士の生きざまを説いたもので、泰平であるからこそ武士は常に死を見据える必要があったのである。そういえば三島の『葉隠入門』のなかに、こんな言葉がある。
「安保闘争はじつに政治的に複雑な事件で、あれに参加した青年たちは、何か自分で身を挺するものを捜して参加したにすぎず、かならずしもイデオロギーに支配されたり、あるいは自分で安保条約の条文を精密に研究して行動したわけではなかった。彼らは相反する自分の中の衝動、反抗と死の衝動を同時に満たそうとしたのである。」
 ここにある現実を三島流に解釈した、そしてそのために現実からしばしば遊離したある特定の存在条件である。『文化防衛論』はその特定の存在条件を延々と書いたものだろう。この『文化防衛論』の趣旨は、『奔馬』まで続くのだが、三島にとっては、いつでも、「何か」が問題なのではない。彼は青年を批判して、じつは自己を語っているのであり、彼にとっては、『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』以来、「身を挺するもの」が必要であり、それを獲得するのは二の次で、それを獲得するさいの、そのために死を目標にし、そんなふうにして熱中し、陶酔し、その死を賭けた目的に向かって忘我の状態になること、まさにエクスタアシのみが問題なのである。
 『文化防衛論』を作品化したのが、『憂国』であり、『十日の菊』であり、いずれも遅れてきた美的テロリストの姿で、一方では三島由紀夫は死の近似値を捜し、一方ではそこから生じた観念の毒を制してきたのである。
 因みにいうが、当時も今も私は『憂国』は案外つまらぬ小説だと思っている。しかし、そこへいくと、『十日の菊』は並のものではない。三島の全戯曲のうちでも『サド公爵夫人』と並ぶ傑作だろう。
(つづく)
(「北方文芸」1992年6月号)

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