三島由紀夫

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三島由紀夫の謎(5)

 この連れ込み宿は初老の男が経営しており、さらに『奔馬』のなかでも、この宿は重要な証言の一つとして出てくる。
 『奔馬』の主人公勲の裁判の際、証人にたった連れ込み宿の老人は、勲を一目見るなり、見たことがあるといい、しかも二十年も前に、その青年は美しい女と一緒だったという。あきらかに老人は清顕と聰子のことを云っているのである。ということは、勲は清顕の生まれ変わりということで、ここで読者は本多の目をとおしたよりも、この宿屋の老人の目をとおして勲が清顕の生まれ変わりと知ることで、深い驚きに誘われるのである。そしてこの物語が輪廻転生に基づいていることをあらためて知るのである。『奔馬』はこのくだりと、勲の自死の場面がとくに印象深い。
 『春の雪』は三島流にいうなら優雅を書いたのである。優雅といのは、これまた三島流にいうなら禁を破った恋愛のことで、そういう破局に向う恋は頽廃から生まれるのである。デカダンスといってもいい。そして、『奔馬』はその青年の無垢な行動を書いたものである。何の打算もない、純粋行動の世界である。
 私はこの『春の雪』と『奔馬』を続けて読んだとき、ああ、これで『豊饒の海』のドラマはすべて書きつくされたと思った。この二巻で、輪廻転生も十分に書きつくされていて、これ以上何をつけ加えることがあるだろうかと思った。しかし、三島由紀夫はさらに続けて『暁の寺』と『天人五衰』を書いた。ここが私には判らないのだ。
 『春の雪』の主人公は松枝清顕、『奔馬』の主人公はその生まれ変わりの勲で、三島由紀夫の口ぐせとなっていた文武両道は、それぞれ文や武を代表する二人の青年の死によって終っている。それなのに、そのドラマの終った後で登場するのが、二人の傍観者であった本多邦繁である。『暁の寺』の主人公はこの本多国繁で、『暁の寺』のテエマは『鏡子の家』からずっと三島由紀夫がひきずってきた世界の終末論である。
本多邦繁はすでに五十代近くになっており、仕事のための旅行でバンコックへやってきて、六歳の幼い姫に謁見する。そのときこの姫は妙なことを口走る。自分はタイ人ではなく、日本人だというのである。これは伏線で、この姫は後に勲の生まれ変わりだと判る。
 しかし、『暁の寺』で、再び輪廻転生の話を持ち出しても、もはやどんな昂奮も驚きも覚えない。本多は、『暁の寺』の後半では、勲の生まれ変わりのジン・ジャンと中年女、慶子との同性愛の立廻りを覗き穴から覗くが、ここには読者を魅了するものは何もない。『暁の寺』で面白いのは本多邦繁の存在である。本多邦繁とは何か。彼は傍観者である。三島がもっとも嫌った歴史の証人、もっと判り易くいえば、行動しない存在者、つまり作家である。だから本多が面白いのだ。いや、本来はもっと面白くなるべき人物のはずである。
 『暁の寺』は、三島由紀夫というユニイクな作家がようやく辿り着いた「作家」と「世界の終末」の関係について追及のドラマのはずである。またこうもいえる。かつて三島由紀夫は『禁色』という小説を書いたとき、「檜俊輔による『檜俊輔論』」という章を忘れなかったように、『暁の寺』もじつは作家が書いた「作家論」というドラマにもなり得たはずであると。
 それの続く『天人五衰』は、『暁の寺』が『鏡子の家』の延長上にあるという意味で、『青の時代』の延長上のもので、『暁の寺』と違った角度で、具体的に、しかも大衆の位置まで降りて書こうとした「経済は世界の終末に向って繁栄する」現代の物語であろう。
 私は、『春の雪』や『奔馬』の絵巻物に魅了され、その世界の美しさは十分に堪能したが、『暁の寺』や『天人五衰』には、かなりの不満を覚えた。もともと『春の雪』や『奔馬』と『暁の寺』や『天人五衰』は一緒にならないドラマの世界である。『暁の寺』や『天人五衰』は前二者よりは、はるかにむずかしい深い世界で、『春の雪』や『奔馬』の完成後、少なくても十年以上の沈黙を要する小説空間であろう。
たしかに『春の雪』や『奔馬』は見事な絵巻物だが、世界の広さ深さからいえば、『暁の寺』や『天人五衰』はその比ではない。これこそ作家三島由紀夫が最期に辿り着いた大テエマだが、何故その世界がおろそかになったのか。
 彼は『暁の寺』を書くために、印度まで足を踏みいれておりながら、いったい彼は印度で何を見たのだろう。世界の終末を書くなら、古代と現代が同居している風景に目を向けなければならないはずなのに、彼のノオトにも、『暁の寺』にもそういう個所はない。
 私の子供の頃、古代と現代が同居していたのは祭りである。今も祭りはあるが、今の祭りには古代がない。私が古代といっているのは身体障害者の乞食のことである。祭りになると、ふだんは見かけない障害のある乞食がどこからともなく現れて鳥居の前に集まり、目の前のブリキ缶を置いて祭りに来た人たちに物乞いをする。多くの健康な人間たちは、この光景を見て、初めて自分たちの日常に感謝する。障害者とは何かといえば、旧約聖書以来、それは宇宙的存在で、宇宙が完全でないこと、欠けていることを教えているのである。そして、それが闇の世界であり古代である。現代人に畏怖の念を抱かせる世界である。
 今も印度にいけば障害者、とくにいざりが交通のはげしい道路を車に轢かれずに横断しているという。古代と現代が一緒に動いているのである。三島由紀夫の目にこの光景がはいらないのがふしぎである。もっともふしぎなのは、『暁の寺』や『天人五衰』が、『春の雪』や『奔馬』と同じ姿勢、同じ文体で書かれていることである。『春の雪』や『奔馬』は従来の三島由紀夫の典雅で明晰な文体で書かれてこそ説得力のある世界を展開しているが、後の二つは、そういう文体で書いても届かない世界だろう。『暁の寺』は世界の終末を、そして『天人五衰』は病める現代社会を描こうとしている。『春の雪』や『奔馬』の文体では書ききれないテエマであり、そういう文体では世界の広がりも掴めない。 
 かつて三島由紀夫は、『十八歳と三十四歳の肖像画』のなかで、次のように言っている。
「やっと私は、自分の気質を完全に利用して、それを思想に晶化させようとする試みに安心して立戻り、それは曲がりなりにも成功して、私の思想は作品の完成と同時に完成して、そうして死んでしまう」
 この文脈からいえば、『春の雪』や『奔馬』を書いたことで、その理想は完成して死んだことになるが、もう一方の『暁の寺』や『天人五衰』は、その思想は完成したとは言えない。ここには世界対三島という図式さえ見る事ができない。完成せずに放棄したとしか言えない。結局三島由紀夫は、世界の終末という大きなテエマをかかえながら、結果的には小さな世界、遅れてきた行動者の世界(気質)へ還っていったことになる。歴史は死者の世界である。われわれは死者によって支えられ、死者について学ぶことはできる。死者を甦らせることもできる。しかし、われわれは死について知ることはできない。死は謎である。死は判らない。死は狂気と同じで謎である。狂気は人と人との間の裂目というが、歴史の裂目かもしてない。
 われわれは三島由紀夫について考えることはできる。彼の思想も文学も分析できる。しかし、その死は謎である。受苦をひたすら待つ肉体を造ったことは判る。判らないのは、その肉体を壊したことである。市ヶ谷のバルコニーでマイクなしで演説していた三島はまだ判るが、判らないのは、その肉体を壊したことである。市ヶ谷のバルコニーでマイクなしで演説していた三島はまだ判るが、判らないのは、演説が終ったあとの三島由紀夫である。演説をおえて、腹を切るまでの数分間、彼は何を考えたか判らない。死が判らないのと同じに、その数分間は判らない。その数分間は狂気の世界である。狂気の世界は判るはずはない。歴史の裂目だから判るはずはない。狂気の世界は人間は何故意識を持ったかを暗示するだけで、人間には判るはずはないのである。小林秀雄の言葉でいうなら、「私の心は、私の自由になるような、私の見透しが利くような生易しい実在ではない」のである。
 そこは判らなくても構わないだろう。死が判らなくても、死が謎でも、われわれは死者三島由紀夫とは話すことはできるのだから。(了)
(「北方文芸」1992年6月号)

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