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トーク・トーク

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◇娘のつぶやき



競争社会からのんびり社会へ

能率給とか、能力給とかは、ごく一部の労働者に歓迎されても、より大多数の労働者からは、ソッポを向かれる。政府が今忘れているのは、労働者とは消費者であるということだ。安い賃金で高い物を買わされてはかなわない。高い物とは、製品だけではない。銀行利子のないことも高い買物である。年金が減らされ老人介護が見えてこないのも高い買物である。一方でこうした政府の政策のなさがあるから、財布の紐はゆるめられない。
 ここに不景気の大きな原因がある。ここのところにメスを入れないで、どんな景気回復があるのだろう。
 コンピューター産業とかインターネットとかいうが、そういう競争社会に景気回復をまかせるのはおかしい。経済人は、競争こそ景気の回復というが、そんな潤いのない社会から何が生まれるか。はなはだ疑問だ。
 経済も利発な少年も、討論からは生まれない。それは成熟からしか生まれない。そしてその成熟のために、沈黙して思考する時間がいるのである。そういう時間を無視しているのが、今の株式だ。毎日毎日、株の上がり下がりを見て、そこから何が生まれるのか。ある経済評論家はファッションのように株を考えましょうといったが、これはとんでもないことだ。女性を金融機関に誘って、それでどんな景気が回復するというのか。
 景気が回復するかどうかは、のんびりの社会から生まれる。のんびり社会とは払った税金の使われ方の全貌がよく見える社会だ。安心して暮らせる社会、老後や病気や教育に心配のない社会、それがのんびり社会で、そのシステムのためなら、ある程度の税金はがまんできる。強い経済基盤、産業を作るといっても、協力してくれる消費者がいないと出来ない。健全で利口な消費者は、競争社会からではなく、のんびり社会からしか生まれない。のんびりとは適度な緊張と学習がいきとどいている状態のことだ。
(タウン誌「街」2000年7月号・No. 455)

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