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◇娘のつぶやき



猫の死

 庭にのら猫が来て餌を貰っていた。餌をやっているのは妻で、ある日、馴れたのか猫が足元に来ると、すとんとひっくり返って腹を見せるといった。これは親愛の情とも、あなたには無抵抗だという表示とも取れる。猫は一定の時刻に来るらしい。そして餌をくれるまで庭の隅で凝っと待っているらしい。餌を持って妻が庭に出ると、鳴きながら長い尾をぴんとたてて近づいて、すぐに餌をたべず、先ず妻に愛情を求めるらしい。頭や喉を撫でてやると、しばらく妻の傍にいるらしいが、その愛撫がすむと、おもむろに餌を食べる。たった一度だけ、この猫は真夜中庭に来たことがある。暑いので網戸だけにして私は奥座敷で原稿を書いていた。なにげなく庭へ目をやると、網戸に鼻をくっつけていつも来る白い猫がいた。なにか報告したげな顔に見えた。「どうした」というと、猫は、優しい声で鳴くだけだった。餌が欲しいのかと思って、茶の間へいくと、妻は居眠りしていた。台所へいって猫の餌のカン詰を持ってくると、もう猫はいなかった。塒へ帰るかえり道一寸寄ったのだろうか。
 この猫は痩せていて、長生きしそうに見えなかった。よく妻は、薄幸な猫だといっていた。気品のある容貌だった。私は猫の貴族と呼んでいた。
 秋になると家の隣りで建前が始まった。狭い道路に大工さんたちの車が駐車し、歩きにくいと思っていた。そんな矢先、いつも餌を貰いに来ていた猫が歩道の上で頭から血を流して死んでいた。たまたま私を迎えにきた車に乗って家を出て、車窓から死んでいる猫を見たので、本当に庭に来ていた猫かどうか確認できなかったから事務所に着くなり、いま見た光景を電話で妻にいった。妻は確認してくるといって一度電話を切り、十分ほどすると、そうだ、あの猫です、車に轢かれたんですね、といった。その後で、袋にいれて庭に埋めましょうかという。いや、市役所に電話してみる、といって電話を切った。
 猫は業者が来て葬ってくれたが、事故に合った原因について考えてみた。それは家を建てるために資材が積まれたり、道路に車が置かれたりして、猫の日常が遮断され、それで猫の日常が狂って、いつもならうまく避けられた車が避けられず轢かれたのだろう。
 開発が多くの小動物を殺すということをよくきくが、彼らの環境を奪ってしまうことと合わせて、獣道を壊して、小動物のいきかえりまで狂わせてしまうからだろう。今回の猫の死でつくづくそう思った。たとえば野原を造成地にすると、そこにあった樹木は全部伐採される。当然、そこを目標にしたり、巣にしていた鳥は行き場を失う。どこか目標や住処を探さねばならない。こういうことは人間に恕されるのだろうか。住居がなければ人間は困るが、ここで大事なことは優しさだろう。人間の権限をいうなら、人間は小動物に優しさを見せる必要がある。それは樹木を全部伐採しないで、隅の方に一本だけでも、樹を残すことだろう。
 (タウン誌「街」1994年12月号・No.388)

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