娘のつぶやき

トップページ

◆「天使の微笑み」

◆「四千字の世界」

◆「トーク・トーク」

◆「犬が欲しい」

◆随筆あれこれ

◆コラムあれこれ

◆木下順一 年譜

◆木下順一の本

◆パステル画

◆思い出のアルバム

◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


墓参り

 毎日、なんとなく一日の仕事に追われ、時間が過ぎていく。夏バテではないが、今ひとつ元気がでない。今年もあと少しで夏が過ぎ秋風が吹く季節がやってくる。
   三年前の八月は、家族四人で函館にいる父の所へお見舞いに出かけた。ちょうどホスピスに入院中で、少し元気になった頃だった。三年前までは、毎年のように、八月になると函館の実家に帰っていた。お盆の時期になると、周りが実家に行ったり、親戚、兄弟姉妹が集まったりしていると、羨ましくなる。こんなふうに思うのは、両親が亡くなってからだ。もう、帰る実家がないのは淋しいものだ。急に家族での行動も減ってしまった。
 二、三日前、二男が「随分、墓参りに行ってないな…。墓参りに行きたいな」と言った。高校生の口から「墓参りに行きたい」、というのもおかしい話かもしれないが、息子曰く、函館の私の実家の墓はとてもいい場所にあり、そこから見える景色が好きだ、という話だ。外人墓地の少し上の坂を登った所に墓があり、天気のいい日には、目の前に津軽海峡が広がり遠くに駒ヶ岳などの山並みが見える。父は生前この辺りの景色をスケッチし、たくさんのパステル画を描いている。七月(函館はお盆)、私ひとりで墓参りに行った時、ナッチャンRERAが青森に向かって往航していた。真っ青な海面に浮く白い船体は美しかった。
 私は父と母が亡くなってから一年に三、四回はひとりで墓参りに行くようになった。墓の前に立つと、心が落ち着くし季節ごとのここの景色を見るのが楽しみになった。途中、花屋のおばさんと世間話をし、おばさんは決まって、私の荷物を見て、「どこから来たの」「札幌から両親の墓参りに…」「偉いね、お父さんもお母さんも喜んでいるよ」と、だいたい、いつもこんな会話なのだ。でも、他人にほめられちょっと嬉しくなり、花を買い求め、ゆるやかな坂を登っていく。 この墓は大正二年に近江から船で墓石を運んできて建立された。今年で九十五年になる。函館大火も戦争も十勝沖地震もいろいろなことがあっても、びくともせず、先祖代々の骨が眠っている。
 昔、子どもの頃は訳もわからず墓参りに行っていた。ただ帰りに家族みんなで外食できるのが楽しみだった。あれから、四十年近くもたち、心が落ち着くから足を運ぶようになった。父の好きなチョコレートと母の好きなビールを持って。実家を処分して、もう帰る場所はないが私が元気なうちは、台町にある実家の墓参りをするだろう。私の心の中には、墓に行かなくてもいつも父と母がいるが、二男が言うように大好きな場所だから、秋にはまた足を運ぶだろう。
 墓とは不思議な場所だ。


<次のコラム> <前に戻る>