娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


最後の写真

 台所のクッキングヒーターの横に写真立てを置いている。その中には函館の実家で母と二人で撮った最後の写真が入っている。平成15年2月、私が日帰りで母の様子を見に行ったときのものだ。体調を崩し血尿がでていると言って、検査を受けている頃ではじめは膀胱炎だと言われ、私もさほど心配していなかった。ところ が薬をのんでもよくならず、大きな病院での精密検査をすすめられ、仕方なく受診したようだ。もともと病院が嫌いで学校を退職してからはきちんとした健康診断も受けていなかった。母とすれば、血尿がおさまり体のだるさがなくなれば、特に治療なんて考えてもいなかった。ところが検査をしていくうちに膀胱に腫瘍らしき物が あるとわかり、母の苦痛は続いていった。腕が細く血管が見えにくいため注射針が入らず、ぶす色になって腫れていた。母はセーターの袖をまくりあげ、娘に検査の辛さを訴えていた。ちょうどその時、父が写真に撮った一枚なのだ。その中に写っている私は母の訴えに真剣に耳もかさず人ごとのように接しているようだった。もっと手をさすって優しく、「大変だったね、お母さん」と一言いえなかった自分をずっと責めていた。
 実家で撮った最後の写真が母にとって一番淋しい顔になってしまった。毎日必ず立つ台所にこの写真を置くことで「すまない」という気持ちと母への感謝の気持ちを一生忘れないために飾っているのだ。写真立てはホコリと油汚れがつかないようにラップで覆い時々交換している。
 五年以上もここに置かれた写真はだんだん色あせて、母と私の姿が薄くなればなるほど、母への想いはあつくなり、もう一度母との時間を共有したいという気持ちは強くなっていった。

 夕食の支度をしていると、よく母から電話がかかってきて「今日は何作っているの」とたわいのない話をしたものだった。もう二度と鳴らない電話を見て、今度は私が写真の母に話しかけている。
 父が「フイルムが残っているから」と言って、何気なく撮ってくれたこの写真が最後の大切な一枚になってしまった。


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