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いさり火文学賞

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父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


第13回 いさり火文学賞受賞作


 エッセイ 「父」 終の住処 1

 平成十七年九月十八日、私は朝七時札幌発函館行きの列車スーパー北斗二号に乗っていた。父が生きているのに、父の住いである湯の川のマンションを処分するために向っていたのだ。
 列車に乗るたびに、あと何回父に会えるのだろうか、来年の今ごろはもうこの道のりを往復することはないのかもしれないと、妙に冷静になったり、落ち込んだり、私の気持はこのころ不安定になっていた。

 父は前立腺癌でホスピスに入院していた。癌はすでに全身の骨に転移し、痛みとの闘いの日々だった。父の苦痛を少しでも取り除くために、二十四時間モルヒネが投与されていた。ここにくる前までは、放射線治療のためにK病院に入院していたが、今回は今までのような成果が見られなかった。父はもうマンションに戻って、ひとりで生活できる状態ではなかった。放射線科のI先生と相談した結果、父は六月末にホスピスに転院したのだった。ホスピスに移るときも大変悩んだ。父はこの病院の存在をよく理解していた。父が父らしく、最期の時間を過ごすには一番いい場所だと私も思っていたし、父もそう考えているはずだった。しかし、今までの父は放射線治療を自ら選択したということは、「生きよう」とする気持があったからだと思われる。それがホスピスに娘の私が移ろうと言い出すのは、「お父さんにはもうやれる治療がないから……」と言うみたいで心苦しかった。ホスピスに移ってからまた元気になって自宅に戻れる人もいるだろう。ホスピスはただ死を待つ場所ではないことをわかっていたが、私には肝心なところで言葉がつまってしまい、I先生に父のホスピスへの転院の件はお願いしてしまったのだ。
 K病院では、放射線治療が終ったあと、父は食欲もなく、腰の痛みも消えなかったため、ただ毎日ベッドに横になり痛み止めをうつと寝てしまうという毎日だった。それが、ホスピスに移ってからはモルヒネの量を減らしても痛みに苦しむこともなく、食事もできるようになった。まるで快復したかのように元気を取り戻し、車椅子で外出したこともあったが、この状態が長くは続かなかった。

 作家であり、四十三年間函館でタウン誌の編集、発行をしてきた父にとって、文章を書くことは日常的なことだった。私が知っている父は、入院中でも原稿用紙と万年筆を枕元に置いて書きものをし、疲れない程度に本を読んでいた。しかし、最近は全く違っていた。途中まで書いていた日記も鞄の中にしまわれたままで、家から持ってきた本にも目を通した様子がなかった。

 八月のある日、「マンションを処分してくれ。お前が使いたいものは札幌に持っていきなさい。本や家具など、欲しい人がいたらみんな、あげてくれ」と突然父が言ってきた。私は驚いて言葉が出てこなかった。
 病室の窓にかかっていたレースのカーテンが風でゆらゆらと揺れていた。それは私の心の動揺をまるで写しているかのようだった。外からバスケットボールをドリブルする音が規則正しく聞こえてきた。父の部屋から見える向かいの家の壁にバスケットボールのボードが備え付けられていた。きっと、誰かがボールで遊んでいるのかもしれない。父が札幌の我が家によく来ていたとき、「もし、おじいちゃんに足があったら、バスケットボールの選手になっていたかもしれない」と、私の息子たちに話していたことを思い出していた。しばらくすると黙ったままの私に、父は声を少し荒立て「聞いているのか」と言ってきた。このときの私は、「はい、わかりました」とも言えず曖昧な反応をするしかなかった。

 何日も迷った。私は父にとって、たったひとりの娘なのだ。頭の中でぐるぐると「父は生きているのだ」という言葉が駆け巡る。こんな大事なことを私ひとりの一存で決めていいものか。しかし、二年前に母は膀胱癌で亡くなっていた。今、生きている父の身内は九十六歳になる父の母親、すなわち私の祖母とひとり娘の私だけなのだ。当然、私が決めるしかなかった。答えはわかっていたが、一応夫に相談してみた。
 母が生きていれば、こんなことにはならなかっただろう。父の今後の治療のこと、家のこと、老健施設に入所中の祖母のことなど、最近私が結論を出さなければならないことばかりだった。考えることが多すぎて、私自身疲れてきていた。
 いろいろ考えた末、九月いっぱいで父が住んでいた湯の川のマンションを引き払って、元町の旧い民家の一室を借り、父の大事なものを移すことにした。この決断がいいのか、悪いのかはもう考えないことにした。今回はそのために仕事を休み、片付けと引越し、マンションの賃貸解約の手続きのためにやって来たのだった。




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