娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


日記帳

 母は日記をつける人だった。新しい年を迎えるたびに買い求めていた日記帳が、いつからか五年日記帳にかわっていた。何年か前のこの日に何をしていたか、どんなものを食べたのかなど、ページをめくって見てみるのも楽しいものだとよく話していた。ところがある日、電話をかけてきた母が「今年は三年日記帳を買ったの、もう五年も生きられないような気がして……」と言った。三年だろうが、五年だろうが私にはさほど重要なことではなかったので、「ふーん」と気のない返事をしたことを覚えている。
 それから二年がたち、母に膀胱癌がみつかりたった入院三ヶ月で、この世を去った。母の買った日記帳は、一年分が空白のまま終わった。「もう五年も生きられないような気がして……」という言葉が耳から離れなかった。
 さらに二年後、母に先立たれ一人暮らしをしていた父も前立腺癌で亡くなった。父のカバンの中に、洒落たA5判のノートをみつけたのは、私が放射線科の医者に呼ばれ、父の治療のことで何度も話し合いをしている時だった。日記がわりにつけていたこのノートには、その日の出来事や母の思い出などが簡単だが書き記してあった。文章を書くことで姿はなくても、母と毎晩対話をしていたのだろう。ところがこのノートの最後は、「俺はボケたのか、字が思い出せない」で、終わっていた。  父の癌は前立腺から骨に転移し、毎日少しずつ骨が崩れているという。その激しい痛みのためモルヒネの量を増やし、薬がきれるとまた苦しむのだった。何度か繰り返されたそれまでの入院なら、ベッドの上で本を読み、原稿も書いていた父が全くペンを持たなかった。
 ノートの最後の一行に、父の苦しみと悲しみを見て、最期をホスピスで過させてあげたいと私は思い、転院することを決心した。
 母の一年分空白の日記帳と、父のA5判のノートを見るたび、もう二度と父と母と共有できる空間がないことを思い知らされた。しかし、時間というくすりはすばらしいもので、両親との永遠の別れという悲しみから、いつしか私を立ち直らせてくれた。そして、父の言葉を思い出した。十年くらい前に突然、「お前、うちのことを書いてみないか。お母さんが書くとただの愚痴になってしまうが、娘のお前が書くときっといいものができると思うんだが……」と、言った。
 当時、私は仕事と家事に追われ、その言葉に耳をかすことはなかった。父もこの時一回きりで二度と口にすることはなかったが、私が何か書くことを望んでいたように思えてきた。
 母を亡くしてから、以前にも増して、ひたすら書き続けることで淋しさに耐え、母と対話してきた父のように、私も書くことで両親と対話ができるかもしれない。
 私の一年の始まり、平成21年の日記帳は父のノートのつづきなのだ。入院してから父は、私に多くを語らなかったが、悲しみから立ち直る方法をちゃんと残してくれたのだ。
(タウン誌「街」2009年新年号)


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