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娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


年賀状

 1月25日に年賀状のお年玉の当選番号が発表になった。私宛にきた分をチェックすると 残念なことに一枚も当たっていなかった。昔は当選番号の発表は15日の成人の日と決まっていた。夜7時のNHKのニュースのときに番号が発表になると、母はチラシの裏に急いで数字をメモして、早速チェックしはじめるのだった。中学校の教師をしていた母宛に届く年賀状は、毎年200枚以上で、その大半が教え子からのものだった。母は必ず、毛筆で丁寧に返事を出していた。200枚全てを一等から切手シートの五等まで見るのは大変な作業だった。なかなか当たらないもので、せいぜい切手シートが5枚くらいで、たまに四等の手紙セットが2枚くらいだったと思う。絶対、当たってないよ…、と言いながらも一応全部に目を通すのだった。しかし、今はインターネットで発表になって、メモしなくてもパソコンで何度でも見られる。便利だけど、なんとなく味気なくなってしまった。

 私が結婚してからは正月に自分の実家に帰ることは一度もなかった。だから、両親との年賀状のやり取りが始まった。母は私たち夫婦に一枚、父は夫と私にそれぞれ書いてくれた。母は夫が読むからと思って、いつもどこか緊張して書いているのが感じられた。そして最後に必ず、雅司さん(夫)の言うことを良く聞いて…で終わっている。父は自分の思うままに書いていた。ある時、もしかしたら父からの最後の年賀状だったかもしれないが、良き妻、良き母ですね、と私宛の年賀状に書いてあった。四十過ぎて、あまり人に褒められることもなくなり、たった一行の父の言葉が嬉しくて、時々見ることがあった。決して、良き妻、良き母だと胸をはって言えないが、そうなりなさい…と言われるより、そうですね、と言われるほうがずっと効果は大きく、頑張ろうと思ったものだ。
 平成15年を最後にもう我が家には両親からの年賀状は届かない。人が亡くなるということは、こういうことでもある。どんどんたまっていく年賀状をそろそろ処分しようといつも思うが、もう亡くなって二度と配達されない人からの年賀状は棄てられないものだ。
 当選番号をパソコンで見ながら、そんなことを考えていた。

   今年の年賀状を整理して、一月も今日で終わりだが、まだ11ヶ月残っている。あー今年ももう終わると嘆かなくていいように、元旦に決めた目標に向かって進まなければならない。


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